前回の話を引き継いで、「Evergreen notes」と梅棹のカード法の共通点を探っていきましょう。
まず、「Evergreen notes」の4原理を復習します。
- Evergreen notes should be atomic
- Evergreen notes should be concept-oriented
- Evergreen notes should be densely linked
- Prefer associative ontologies to hierarchical taxonomies
ついで、これに対応する形でまとめた梅棹のカード法の原則が以下です。
- 「カードは、豆論文である」
- 「カードは、一枚に一つのことを書く」
- 「カードは、何度もくる」
- 「カードは、分類しない」
では、それぞれの原理・原則が何を意図しているのかを検討しましょう。
一つの概念を説明する
「Evergreen notes/カード法」で書かれるものは、「一つの概念を説明する」記述です。これだけでみると、なんてことない話ですが、よくよく考えると難しい問題を含んでいます。
たとえば「一つの概念」の「一つ」とは何でしょうか。「概念」はリンゴのように実体があるわけではないので、数えることが簡単ではありません。でもって、数えることが簡単ではないとは、切り分けることが簡単ではないことを意味します。
人間の脳は、連想によって情報を引きだしますが、これは情報と情報につながりがあることを意味しています。そのような連想は「芋づる式」とよく呼ばれますが(時間と距離を超えて使われるメタファーです)、ぎゅいっと引っ張ってつりあげられた芋の「一つ」とは何を意味するのでしょうか。
「そりゃ、一つひとつの芋だろう」と簡単に言えるのは、もちろん芋が実体を持っており、つると芋が視覚的にはっきり区別できるからです。もし、つるもまた芋であったり、芋がまたつるであったりしたら、何をもって「一つ」と呼ぶのかは混乱するのではないでしょうか。概念の記述にはそれと似た混乱があります。
だからこそ、「Evergreen notes/カード法」では、「一つの概念を説明する」ことを志向するのです。つまり、私たちの思いつきをそのまま記述しようとすると、それは芋づる式にどんどん広がっていき、「こんなものはとても書けない。もっと準備と時間が必要だ」となってしまうので、その思いを立ち切って小さく記述しようとすることが、「一つの概念を説明する」という原理・原則になるのです。
私はこの点を長らく勘違いしていました。私たちが思いつくものの中には、たしかにはっきり他と区別できる「一つの概念」のようなものがあり、それについてはカードに書き、そうでないものは(つまり芋づるってしまっているものは)記事などに書くのだと思っていたのです。しかし、それだとカードの力は半分も活かされません。単にメモ帳やネタ帳的備忘録になるだけです。
アイデアを育てていくために必要なのは、大きな概念を大きいままに出そうとすることではなく、自分が引っぱり上げた芋づるに注意を向け、「どれが一つの概念と言えるのか」を自分で判断して切り出すことなのです。そうした知的作用が、書き留めたアイデアの利用可能性を広げていきます。
※なぜそうなるのかは、また別の回で検討しましょう。
説明することの意義
もう一つ、「一つの概念を説明する」に含まれている、「説明」のニュアンスも重要です。
基本的に、説明とは他者に向けて行うものでしょう。梅棹が言う「豆論文」の元になっている「論文」も、自己完結するものではなく、他者に向けて・その学会に向けて・公に向けて自分の考えや研究成果を紹介する役割を持っています。定式化すればこうなります。
- 説明は、常に他者に向けて行われる。
他者とは、事情を知らない人です。通りすがりの人、たまたまその情報を見知った人に伝えるためには、「あの本は」とか「この前見た映画」という表現は適切ではないでしょう。「『How to Take Smart Notes』という本は」や、「映画『TENET』は」といった補足が必要となります。他にも、自分が別で考えていることを前提とした話もそのまま書くわけにはいきません。文脈の補足が必要です。
そうした補足は、脳にとってみれば面倒なものでしかありません。何かを思いついているときの脳はきわめてHotであり、「あの本」と言えばもうはっきりしたイメージが湧いています。それをいちいち正式名称を書くだなんて、という気がしてきます。自分用の「メモ」ならば、きっとその情動に逆らえずにそのまま書いてしまうでしょう。
そして、時間が経ちます。
時間が経ち、Hotでなくった脳は、「あの本」がどの本を指していたのかを思い出せなくなります。議論の前提となっている論理展開がどのようなものかも思い出せなくなり、そうして書き留めたものが何を意味していたのかがわからなくなります。
つまり、Hotでなくなった脳とは、Hotな状態の脳からすればほとんど「他者」のようなものなのです。言い換えれば、Hotな脳が他の人に向けて説明しようと頑張るとき、それは未来の自分への贈り物にもなっているのです。
しかし、それだけではありません。
その「それだけでもない」点が、一つ目の「一つの概念」とも関わってきます。
さいごに
今回はまず、「一つの概念を説明する」の重要性について簡単に確認しました。
一番大切なところは、「カードには1つのことを書く」という言葉の解釈です。明らかに一つだとわかっているものを書くのではなく、複雑に絡み合ったものをなんとかして一つのものとして切り出すことに、この知的作業の要点があります。
そして、この作業を通り抜けることで、私たちは思考のネットワークにノードを増やすことができるのですが、それについてはまた次回。
▼倉下忠憲:
新しい時代に向けて「知的生産」を見つめ直す。R-style主宰。メルマガ毎週月曜配信中。