その始まりは高校時代によく見ていた「黒船MOCOMOCO」(くろふねもこもこ)という日本テレビ系のバラエティ番組(1990年9月7日から1991年9月27日まで放映)。
出演者のほぼ全員が外国人で、そのほとんどが日本語を流ちょうに話す。
とりわけ印象に残っている出演者がケント・フリックさんで、見た目はアメリカ人なのにコロッケと張り合うほどのモノマネも繰り出す。
会社員時代に友人宅で観た映画[『スワロウテイル』の中でそのケント・フリックさんが「日本語しか話せない外国人」役で登場し、同様に日本語堪能な外国人たちとともにくだけた日本語で楽しそうに話すシーンに感銘を受ける。
そんな背景もあり、「日本語が話せる外国人」に強い関心を持つようになり、次に「レアな外国語が話せる日本人」、さらには「母国語以外の言語を話せる外国人」にも興味の波紋が広がっていく。
たとえば、ヒンディー語をネイティブ並みに話す日本人のKohさん。
あるいは、中国語を軽やかに話すアメリカ人のシャオマさん。
ケント・フリックさんを初めて目にしたときの自分は、向こうから言語の壁を乗り越えて歩み寄ってきてもらえることに驚きとうれしさを感じたが、逆にKohさんやシャオマさんは相手の言語で話すことで、驚きとうれしさを引き出している。
仕事においても相手の懐に飛び込む上では、その相手の「言語」を身につけることが険しいながらも最短最速ルートであり、険しいがゆえにライバルが少なく、従って勝ち残りやすい戦い方なのだと、改めて思う。
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