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自由とタスクシュートは矛盾しない



次に博士らは、ファノ不当性係数を計算しました。

ファノ不当性係数とは、どこまで正確に人の移動パターンを言い当てることができるかという予測率のことです。

なんと、平均93%という数値がはじき出されました。

不規則な生活パターンをしている人でさえ、80%を下回ることはありません。

つまり、私たちの行動は、80%以上はおきまりの習慣に従っているというわけです。



佐々木正悟 これを読んで、私たちは意外に「不自由だ」と感じるでしょうか?
私にはそう思えません。

むしろ、人が自由に好きなことをしたら、好きな漫画を読みふけるとか、好きなゲームばかりして過ごすとかいうことも、多いはずです。

つまり、自由に生きるということは、好きなことの繰り返しに時間を費やすことであって少しも不思議ではありません。

自由がランダムを意味するとは限らない

もしかしたら最初は直観的だったかもしれませんが、このような研究結果からも、大橋悦夫さんの「タスクシュート」という「発明」は、とても私たちの性質に沿ったものだと言えそうです。

  • 不規則な生活パターンの人でさえ、80%の予測率で行動パターンを言い当てられる。

ということであれば、私たちがどんなに「自由に」行動したとしても、それは同じような行動の繰り返しになるほうが自然です。どんな人でも80%を下回らないということは、「新規タスクを追加する」機能など、貧弱でいいのです。

ところが、タスクシュートの原理に基づかないタスク管理ツールは、「新規タスクと新規プロジェクトを追加しやすい」設計ばかりに見えます。

「リピートタスクを扱える」としても、それを扱いやすくしてあるとは限りません。

繰り返し同じ行動を、「自然と繰り返してしまう」人間のためには、どのように同じ名前のつくべき行動を繰り返したら、仕事などの依頼に応えられるか。その機能こそ手厚くしておくべきだと考えられます。

たしかに八割だけが類似の行動パターンであるという人は、かなり不規則な生活リズムの持ち主だと考えられます(その人が非効率であるとか、ましてや無能であるなどという意味ではありません)。

一日の二割とは、ほぼ5時間に相当します。毎日5時間、まったく新しい行動をとって生活できるというのは、きわめて活動的であるか、大金持ちのように思えます。

平均的には、7%が「繰り返し行動」ではない。7%とは、一日に対して約100分です。これは妥当な数字のような気がします。

毎日100分を「本当に面白いと言える」活動に捧げられたら、人生にかなりの充実感を覚えられるでしょう。