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タスクの名前は自分の言葉で書く



佐々木正悟 先日、タスクシュートをカーナビに喩えて話をしていたところ、どなたかに、

「しかしカーナビは誰もが使えるものだが、タスクシュートはその人にしか使えないのではないか?

という指摘をいただき、しばらく考えていました。

その通りなのですが、さらに逆に考えたほうがいいように思うのです。

つまりむしろカーナビが汎用的に過ぎるのではないだろうか。

たとえば私が地元で運転をしているとき、交差点の名前をカスタマイズできないのは妙に不便だと以前から感じていました。

タスクリストは全部「自分がそれをする」表現

「赤い花がたくさんさん咲いているあの交差点をあっちの方向へ」という言い方をしているのです。内心では。

カーナビは汎用的であるが故に全国どこでも完璧な地図が用意されているわけですが、本当は、よく行くところをよく行くようにカスタマイズされているほうがいいはずです。

たぶんですが私には、たとえば沖縄に自家用車を持っていかないので、沖縄の地図は入ってなくてもOKです。

渋谷などを歩いていても「次の宮益坂下を左に曲がります」などという指示は「正しい」けれど、しっくりきません。私はあの交差点を「宮益坂下」などと呼んでないからです。

言葉というのは汎用的なものなので、単に指示を得られればいいときと、自分がそれを意図するときとでは、扱い方がかなり異なります。大げさに言えば飛躍があります。

大げさな例を出してみましょう。

  • 告白する

こういうのが「一般の表現」である限り、たいした意味はありません。嘘かもしれないし、冗談かもしれない。または「告白する話を書く」を省略したのかもしれません。

しかしこれを「自分の表現」にしてみた途端、ただ書いてあることを読むだけというわけにはいかなくなります。本当にそれを自分がするからです。本当にこれをしなければならないのなら、成功する条件、日時、場所、前後の状況を真剣に検討するに違いありません。

タスクリストは全部「自分がそれをする」表現のはずです。であれば、常に成功する条件、日時、場所、前後の状況をすべてのタスクについて、真剣に検討しなければ意味がないのです。

そうでないとタスクは「ただ書いてあることを読むだけ」に終わってしまいます。