本書には重大な欠陥がある、と私は思います。それはタイトルです。
このタイトル、誤解を招くというか、よくよく考えると意味が分かりません。
「残酷すぎる成功法則」とは、どういう意味で「残酷」なのか?
成功者しか成功できないから、残酷なのか。
もしそうであれば、本書のような本を読む意味はほとんどないでしょう。マゾ向きの本になってしまいます。
残酷なほど過酷なことをしないと成功しないという意味か?
しかしそういう意味で「残酷」という言葉を使うのは誤解のもとですし、そもそも本書はそういう本では、ありません。
本書はごくふつうのビジネス書です。で、いい本です。従って、どう考えてもこのタイトルには、納得しがたいものがあります。
「残酷」の陰に潜む問題
しかしでは、どんなタイトルをつければ良かったのか? といわれると非常に困ります。
たぶん『残酷すぎる成功法則』というのがベストに近いのでしょう。これ以外の「普通のビジネス書むきのタイトル」をつけたところで、そんなに売れないでしょうから。
この辺りに、ときどきやり玉に挙がってしまい昨今の「ビジネス書事情」の陰気な気持ちにさせられる問題が潜んでいます。
読者は、ふつうにいい本を普通に読めればいいはずなのですが、何かそれでは物足りないような気持ちにさせられ、また、普通に良くない本があまりに大量に出回ってしまっているため、普通のタイトルでは埋もれてしまうという不安に覆われています。
それでどうなるかというと『残酷すぎる成功法則』というタイトルだと売れるというような「成功法則」が残酷にも幅をきかせる結果になるのです。
当たり前のこと? or 真新しくて異様なこと?
しかし、つねに規定された「正しいこと」を行い、リスクを最小限にする生き方は成功への道だろうか?
もしかしたらそれは、凡庸な人生への道ではないだろうか?
本書の中でも、この問題が最初に提起されています。誰もが疑問に抱くところです。
日本の高度経済成長が陰り、バブルもはじけ、「ロスト・ジェネレーション」(私もそこに入るらしい)が働き盛りという時代にあって、タスクシュートに従って日々ルーチン日課みたいな生き方をしていたら、AIに呑まれてしまうのだ、という不安が簡単に蔓延しやすいのです。
本書では、ハーバード大を首席で卒業するような「平凡な成功者」(どこが平凡ですか?)対「スティーブ・ジョブズ」というような、いたってわかりやすい構図を用意しています。
双方に当てはまるような万能の「成功法則」などというものがあるわけがない、というのが本書第一の主張です。このように書くと実に失望されると思いますが、私が思うに、当たり前のことを説得的に書けて、当たり前の結論に至るまできちんと「読ませる」内容を用意しているのが、良書というものです。
私たちは「当たり前のこと」だってしょっちゅう忘れて生きています。人間はさほど記憶力に優れていません。動物は一般にそうなのです。
当たり前のことを、うまく思い出させてくれて、より深く記憶に残るように伝えてもらうために、読書するということは理に叶ったことです。
そういう風に考えないと、「目新しくて異様な情報」ばかりを求めることになってしまう(1日1万冊読めとか)。すると「残酷な成功法則」が有利になるでしょう。
『残酷すぎる成功法則』に書かれていることは「当たり前すぎる成功法則」
まず第一に、自分自身を知ること。古代デルポイの神殿の石に「汝自身を知れ」と刻まれていたのをはじめとして、この言葉は歴史に何度となく登場する。
あなたがもし、ルールに従って行動するのが得意な人、首席だったり成績優秀で表彰されたことがある人、「ふるいにかけられた」リーダーなら、その強みに倍賭けするといい。
「首席」でなくても「次席」でも「第3位」でも、とにかく期待に応えることが得意で、一定の結果をどこでも出せるというのは「良いこと」だと自信を持つべきなのです。
世の中ではこの反対のことが盛んに言われるものですが、「異様な天才」の影には、そうなれずに苦しむ人もたくさんいるはずです。
どちらかというと規格外で、アーティストなど「ふるいにかけられていない」タイプだったら?
その場合、既存の体制に従おうとしても、成果が限られるかもしれない。それよりは、自分自身で道を切り開こう。リスクをともなうが、それがあなたの人生だ。
この一節を読んでも感じることは、『残酷すぎる成功法則』に書かれていることは、かなり「当たり前すぎる成功法則」です。
でもこれだから、いいのです。
こういうのではないものばかりをありがたがっていると、そのうち「成功法則」は実に残酷なものばかりになってしまうでしょう。
その結果「残酷なことを書く人ほど成功する」ようになる。
これがいちばん残酷は結末です。