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自分の「得意」に一点集中しつつ、自分の「居場所」もきちんと確保するために



大橋悦夫ブログを書くメリットはさまざまありますが、僕にとってのそれは「自分の強み」という“タネ”を見つけて、これを育て続けるための“畑”が手に入るということに尽きます。

つまり、ブログは自分が何を得意としているのかを(再)発見するためのセンサーであると同時に、その得意を増幅するためのアンプでもあるわけです。

とはいえ、「得意」の追求だけでは長続きしません。長続きさせるには「居場所」の確保が欠かせないからです。

橘玲さんの以下の本を読んで、このことを改めて実感しました。



橘玲さんの著作はこれまでにも何冊か読んでいますが、とにかく「ぎっしり」という印象をいつも受けます。

見た目に文字が詰まっている、という意味ではなく、さまざまな分野の知識がバランスよく当意即妙に詰められているのです。

ちょうど、幕の内弁当のようにです。

従って、読み進めながら多方面から刺激を受け続け、メモする箇所もどんどん増えていきます。

そんな大量のメモから一箇所だけ選べ、と言われれば迷わず即座に「ここです」と返答できるくだりがあります。

チンパンジーの怒り

ということで、ここです。

二つ目の実験では、真ん中をガラス窓で仕切った部屋に二頭のチンパンジーを入れ、それぞれにエサを与える。

このとき両者にキュウリを与えると、どちらも喜んで食べる。ところがそのうちの一頭のエサをリンゴに変えると、これまでおいしそうにキュウリを食べていたもう一頭は、いきなり手に
していたキュウリを投げつけて怒り出す。

自分のエサを取りあげられたわけではないのだから、本来ならここで怒り出すのはヘンだ(イヌやネコなら気にもしないだろう)。

ところがチンパンジーは、ガラスの向こうの相手が自分よりも優遇されていることが許せない。

これはチンパンジーの社会に平等の原理があることを示している。自分と相手はたまたまそこに居合わせただけだから、原理的に対等だ。自分だけが一方的に不当に扱われるのは平等の原則に反するので、チンパンジーはこの“差別”に抗議してキュウリを壁に投げつけて怒るのだ。(p.254)

文脈的には少し違うのですが、僕はこの箇所を読んだときにすぐに頭に思い浮かべたことは「嫉妬」の感情です。

自己重要感と群居衝動の両方をうまく充足させる

自分と同程度の(と少なくとも自分では考えている)人間が、自分よりも良い思いをしている、自分より高く評価されている、といったことが人は許せないもの。

「自分と同程度の」というところがポイントで、自分をはるかに上回る人に対しては嫉妬は感じません。

たとえば、僕は橘玲さんに対して嫉妬はいっさい感じません。

ここから分かることは、嫉妬されたくなければ、どんな分野でもいいので、とにかく一点において突き抜けてしまえばいい、ということです。

すなわち「得意」の追求です。

こうすることで嫉妬されないうえに、一定のリスペクトも得られるでしょう。いわゆる「自己重要感」が満たされるわけです。

一方で、人間である限りは一人ぼっちでは生きていけません。孤高を追求するのには限界があるのです。

その結果、自分と同じような嗜好を持つ人と群れたくなります。そうすることで「居場所」が得られ、安心できるからです。

これを「群居衝動」といいます。

群居衝動とは何か?

「自己重要感」に比べると「群居衝動」という言葉は馴染みが薄いと思います。

僕自身、この「群居衝動」という言葉は『人蕩し術 (ひとたらしじゅつ)』という本で初めて知りました。



実は、すでに書いたとおり「群居衝動」は「自己重要感」と密接に関係しています。

以下はそのあたりを実に明快に解説しているくだりです。少し長いですが引用します。

人間は群れをなして生きる動物です。つまり、一人では生きられないのです。それで、会社、家族、学校、友人同士などから、大きくは国家、人種に至るまで、人はグループを作り、その中にある安らぎを見いだします。これがつまり群居衝動です。

しかし、世の多くの人々は、自分の内にあるこの群居衝動を、なかなかうまく充足できずに悩んでいるのです。

(中略)

群居衝動は代用物が可能といわれております。というのは、人間不信に陥ると、ペットや他の動物、あるいは人形のようなものによって、ある程度その衝動を充足することができるからです。

では、なぜこの群居衝動がうまく充足できないかというと、ここに、第三番目の本能的衝動というものが登場してまいります。それは「自己重要感」という本能的欲求です。

生まれながらにして、人(あるいは生物といってもよい)は、他者と競合して、自らを優越者としたい、という欲求を持っております。これは、「自己表現欲」とも呼ばれ、要するに、自分の能力を何かの手段で具象化し、自他にそれを認めさせ、自分のこの世における存在価値を確かめたいという無意識的願望なのです。

芸術家、タレントは無論それの最も顕著な例ですが、社長が会社を大きくしようとするのも、お金持ちになろうとするのも、有名になろうとするのも、すべてはその願望の現われです。

ところが、多くの人々は、それがどうもうまくいかないと感じ、より直接的な方法で、その衝動の充足を図ろうとします。その方法とは、「会話による方法」なのです。

他人をけなしたり、あるいは自慢をしたりするのは、すべて、この悩み、自分の自己重要感をうまく充足し得ないでいる人たちなのです。

つまり、人である限りは「すごいと思われたい」という自己重要感(「得意」の追求)と、「同質の仲間と群れていたい」という群居衝動(「居場所」の確保)の両方をほどよく満たす必要があるわけです。

このバランスが崩れているとき、ストレスを感じます。

「居場所」の居心地が良すぎると、「得意」の追求は二の次になりがちですし、かといって「得意」の追求だけの仙人のような毎日は耐えがたい。

従って、自己重要感と群居衝動の2つをバランス良く充足させるように日々の過ごし方を工夫することが何よりも重要となります。

もし、ブログを書き続けるのに困難さを覚えているとしたら、自分の「得意」なテーマをまだ掘り当てられていないという可能性もありますが、それとは別に自分にとってしっくりくる「居場所」がまだ見つかっていないということも考えられます。

「得意」の追求と「居場所」の確保、今のあなたに不足しているのはどちらですか?