前回の記事で私は「なによりも「天丼」を食べていられます」といった辺りで結論としていますが、もちろんそれでオールグリーンというわけにはいきません。「天丼」を食べ続けるにもお金が必要だからです。
自分は天丼が好きである。
意中の人は天丼よりもパスタが好きである。
自分はパスタに興味がない。
この不幸な状況で、必死に情報集めをして「とびきりうまいパスタの店」を提案するのは気が進まない。それでもできることはないでしょうか。意中の人を諦める以外に、という意味です。
「とびきりうまい天丼の店」が答えにならない時
不幸にも「大好きなことをやり続けなさい」とか「大好きなことについて情報を発信し続けなさい」といったアドバイスに徹底的に忠実なのに、好きでも何でもないことをしている人の方がずっと幸せそうに見えることがあります。
そんなときにこそ叫びたくなるのです。
「私は孤独だ」
「全ては虚偽だ」
大好きなことについて情報発信を続けるということは「とびきりうまい天丼の店、あります」と言い続けるようなものです。「天丼」が響かない人にとってはまず効果なしです。「天丼」に相当するモノが一般的に人気があるならいいのですが、興味を持つ人が非常に少ないモノだったとき、自分の変人ぶりを強く自覚するに終わりかねません。
『伝え方が9割』の佐々木圭一さんは、このようなケースに対して実にありきたりで実に有用なアドバイスをしてくれています。「相手の頭の中を想像してください」というのです。たいていの人がこれを聞いて私同様がっかりすると思うのですが、結局これしかないのです。
「とびきりうまい天丼」(とびきり素晴らしいEvernoteというデジタルノート)に一切反応しない人の頭の中を想像してみます。おそらく「関心のないものについての長所のPR」は単にうるさいと思われていることでしょう。
非常にオープンマインドで、好奇心を殺さないように努めているごく一部の人だけは、全然関心のないものにでもなんとしてでも関心を向けようと努力してくれるのですが、そういう努力をしてくれる人は本当の少数派です。
しかし逆のPRは一定の効果をもたらします。
「太らない天丼が食べられるお店があるよ」
無関心であったりあまり好きでないものでも「好きになれたらいいのだけど…」と思っている人は、一定数います。全然関心のないものにまで意識的な努力をして関心を向けられる特別優れた人は先に述べたとおり極端に少なくても、何かをきっかけに関心を広げるのはいいことだと思っている人は少なくないからです。
何かが好きな人から見ると、何かを嫌っている人の嫌っているポイントいうのは、大きなお世話ですがかなり的外れです。
私の妹は大変な「風呂嫌い」なのですが、風呂が嫌いなポイントとしては「服を脱ぐのが面倒」で「水がシャバシャバする」だそうです。
お風呂大好き人間の私は笑ってしまいます。妹としてはこれらが全部取り除かれれば「風呂はさほどイヤではない」ことになるようです。
「こちら嫌いでしょ、だからやらない選択をしましょう」という切り口です。こちらは、使い方次第で大きな効果が期待できます。
イヤなポイントを取り除くことで関心領域に誘導することと、嫌いなモノを回避する選択肢に誘導することは少し違います。しかしいずれにせよ「嫌いなモノ」に対する感情というのは根深いので「それを取り除ける」と提案されると心が揺れます。
Evernote大好きなブロガーがその「神」ぶりをいかに繰り返し語ったところで、「私はアナログ派ですから…」という人の心を動かすのは難しい。だからといって「意中の人がモレスキナリーなので、今日からEvernoteブログはやめました」というのは淋しすぎる。
少なくともその前に「あなたがEvernoteを好きになれない3つのポイントとその解消法」というエントリを検討したい。あるいは「アナログではどうしても解決できない3つの大問題とその解消法」というエントリを検討したいところです。
こういうタイトルをつけておいて、後はあなたが大好きなEvernoteの話題に終始すればいいわけです。
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