※当サイトはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています。

仕事をする勇気がわいてくる物語



佐々木正悟 偏見を持つことのデメリットは、持っている本人には自覚しにくいものです。

たとえばここに、男性だけの職場で働く、独身男性がいたとします。彼は「一般に男性の方が女性より優れいている」という偏見を持っていて、しかもそういう偏見を持っていると自覚しているとしましょう。

ただし、そんな偏見を表に出してもトクになることはないと如才なく考え、むしろ女性を慇懃丁寧に扱うような人だとします。そのような人はおそらく、「自分はいささか男女差別的ではあるけれど、そのことに自覚があるし、そんな考えを表に出さないようにしている。この考えのせいで、男女いずれに対しても不快な思いをさせたことはなく、自分でも不利益を被ったことはない」と考えるでしょう。

これは一見もっともらしく、また女性の方でも、このような男性を見ただけでは、ことさら「差別的」と攻撃はしないでしょう。(心の中をのぞき込めれば別でしょうが)。世の中には、もっとあからさまで、もっと「有害な」人もたくさんいるのですから。

自分の「影」との出逢い

たとえそうであっても、やはり偏見というものは有害です。そのことを教えてくれるのが本書であり、偏見から一人の人間が解放されることは、何よりも当人に大きなメリットを与えるのです。

» ラテに感謝! How Starbucks Saved My Life―転落エリートの私を救った世界最高の仕事


本書はなかなか「凝った」ビジネス書です。フィクションを装ったノン・フィクションというビジネス書はたくさんありますが、本書のちょっとした特徴は、主人公の「転落物語」であるところなのです。

転落物語と言っても、最後まで読んでそう思う人はいないでしょう。しかし、外見的には主人公は転落しています。大手広告代理店で出世コースに乗っていたはずの白人男性が、リストラされ、失業し、離婚され、家を失い、子供とも自由には会えなくなり、貯金もつきかけたはてに、スターバックスにようやく拾われて、ダウンタウンにほど近い店で、トイレ掃除をするのです。

しかし主人公の「転機」はむしろ、その転落のさなかにあります。スターバックスに拾われたことこそが、主人公を偏見から解放し、幸福に導くきっかけとなるのです。

主人公は、60過ぎの白人男性。大手広告代理店に勤めていただけでなく、生まれついての「上流社会」の出自です。そのことを明らかに意識してもいます。しかし、家を失い、貯金を使い果たせば、雇ってくれるところで仕事をするしかありません。彼は、スターバックスで面接を受けるのです。

 「私の部下として働くことができますか?」
 その言葉の真意はわかった。あなたのような白人の年配者が、わたしのような若い黒人女性の部下として働くつもりなのか、と。のちになって聞いたことだが、彼女の叔母は、怒りと敵意を込めて、白人は敵だ、と常に彼女にいっていた。
 彼女にとっては、わたしに声をかけるのでさえ危険なことだったのだ。わたしが彼女に迷惑をかけないことがわかるまで、一インチも近寄るつもりはなかったという。

なんだかよくできた物語のようです。主人公はこれに続けて、価値の転倒を現実に体験したときの、人間心理に起こる独特の動揺を、詳述します。価値観を変えることの必要性はよく言われますが、それは急に左ハンドルの車に乗るより、さらに危険なことでもあるのです。

偏見を捨てる難しさ

主人公には過去の苦い思い出がありました。とはいえ、彼はべつに懺悔しなければならないような過去の持ち主ではないのです。KKKに入団していたというわけではありません。彼はべつに悪人ではなかったのです。

ただ彼の価値観は、非常に偏狭なものでした。ごくシンプルに言えば、人種的偏見を持ち、成功至上主義的で、男性優位的な思考の持ち主だったのです。

どうしてもだから彼は、クリスタルという黒人女性がボスで、顧客の大半が彼の価値観に沿わないという環境に置かれることに、価値観転倒を感じざるを得ません。そのことを格別不快に思っているわけではありません。が、転倒した価値観のことをまず意識せざるを得ないわけです。

「それは受け入れればいいだけだ」という人もいるでしょうが、それはそう簡単ではないのです。なぜかというと、自信の基幹のようなものを失ってしまうからです。

彼は大手広告代理店で、自信を持って仕事をしていました。その自信の基盤は、自分が男で、白人で、上流階級の出自で、いい大学を出ていたから、というようなものではありましたが、「自信を持っている」というのは理由はどうであれ、大事なことなのです。能力があるから自信が持てるのではなく、自信を持っていると能力を発揮できるところが、人間にはあるのです。

本当に怖いのは、偏見を捨てることではなく、自信を失うことなのです。「自分は何の力もない、無一文の、64歳の老いぼれだ」と本当に文字通り受け入れてしまえば、スターバックスに出勤することすら、できなくなってしまうでしょう。

それでも彼は、その事実を徐々に受け入れつつ、必死にダウンタウンまで電車に揺られ、トイレ掃除に励みます。彼は、彼を拾ってくれた黒人女性のマネージャーに「認めてもらう」ためなら、何でもしようと決意します。

 まもなく、トイレは本当にぴかぴかになった。
 「マイケル、こんなにきれいに掃除をしてくれた人は初めてよ」
 クリスタルは知らないのだ。わたしがスターバックスでの未来のすべてを、人がいやがる仕事を上手にやることに賭けているのを。そうすれば、解雇されずにすむと考えているのを。わたしはそれほどまでに、この仕事を失うことを怖れていた。これはわたしにとって最後のチャンスなのだ。


偏見を捨てた代わりに得たもの

偏見を捨て、かつ、自信を失わないようにするために、彼は与えられた仕事の打ち込むのですが、もちろんその目的は「クビにならないこと」です。そのようにして仕事をしている人こそ、アメリカでもっも多いという思いとともに、多くの人と「現実」を共有している感覚を持ち出します。

そのようにして、彼の自信の基盤が変化していくわけです。「彼の」ものではない基盤から、「彼の」基盤をもとにした自信を持てるようになっていくわけです。

たとえば彼は、誰よりもうまくトイレが掃除できます。なぜなら、クビになりたくないという気持ちが、他の人より一段と強いからです。スターバックスの従業員はみな若い中で、彼だけ60過ぎなので、仕事を選んでいる場合ではないわけです。

また彼は、従業員の誰よりもコーヒーが好きです。これが彼の新しい仕事の中心になっていくのですが、それは大手広告代理店社員時代に、スターバックスでコーヒーをいつも飲んでいたからなのです。

こうして彼は少しずつ、「自分自身」を見つけ出していきます。白人だということや男性だということは、「自分自身」ではないのです。他にもたくさん全く同じカテゴリーを持つ人はたくさんいます。転落したからこそ、彼は自分の価値を64歳で見いだしつつある、というわけです。それが次のようなつぶやきに現れます。

「幸せだ。以前よりもずっと」

こうつぶやいてみて、彼は自分に驚きます。職を失って、家を失って、妻子を失って、寿命の折り返し点を明らかに過ぎてから、ずっと幸せになるというのは、実話だとすれば何とも皮肉な話でしょう。

自分自身を見つけ出す、ということはそれほど意義のあることなのです。

» ラテに感謝! How Starbucks Saved My Life―転落エリートの私を救った世界最高の仕事