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「人前で話す仕事が苦手」という結論をくだす前に確認しておいたほうがいいこと



大橋悦夫好きなこと・やりたいことがそのまま仕事になる、というのはめったにあることではありません。

世の中は厳しい、なかなか思い通りになるものではない、という説教めいたことを言いたいわけではありません。

ひょんなことから、思っていたのとは違った形で仕事になり、その仕事が、あとからふり返ってみると実に自分にフィットしていることに気づく、ということがあるのです。

例えば、僕にとっては「人前で話す仕事」がその1つです。

「思い通りにならない」は思い違いかもしれない



会社員時代に、30人程度の聴衆を相手に自社商品の紹介プレゼンテーションをする機会が定期的にあったのですが、この仕事が毎回苦痛で仕方がありませんでした。

※上記の写真は奇跡的に残っていた会社員時代のものです(冒頭の写真は独立後に開催したセミナーでのひとコマ)。

知らない人たちを前に話すこと自体が苦手でしたし、苦手であるがゆえにうまく話せず、従って結果も芳しくありません。ただただ「早く終わってくれないかな」と思いながら何とかこなしていたのです。

それだけに、フリーランスになったときの「これでもう人前で話す仕事はしなくても済む」という解放感は格別なものでした。

ところが、その後も「人前で話す仕事」には取り組んでいます。テーマは、タスク管理や時間管理、自分に最適なワークスタイルの育て方などです。

共通点は「自分の経験をシェアする」こと。

考えてみると、僕が苦手に感じていたのは「人前で話すこと」ではなく「自分を出してはいけないプレゼン」だったのかもしれません。

会社員時代のプレゼンは、自社商品のPRが目的でしたから、プレゼンターがあまり出しゃばるものではありません。

さらに、間違いが許されない仕事でしたので、神経を使います。

自社商品が嫌いなわけではありませんでしたが、好きというほどでもないため、必然的に熱は入りません。それでいて、間違いが許されないとなれば、そんな仕事が楽しいものであるはずがありません。

それゆえに、当時の僕は「プレゼンは苦手」というレッテルを貼り「人前で話す仕事」を遠ざけようとしたのだと思います。

代わりにやるべきだったことは、

  • その仕事のどこが苦手か
  • その仕事のどこが嫌いか
  • 何があれば(なければ)苦手意識を克服できそうか
  • 何があれば(なければ)好きになれそうか

といった分析です。

こういった分析をスキップして、「人前で話すのは苦手」という結論に直行してしまうと、判断を誤ったうえに、そのことに気づかずに過ごしてしまいかねません。

本当はそんなことはないかも知れないのに、

「やはり、世の中は厳しい、思い通りになるものではない」

というレッテルを貼って自ら可能性の芽を摘んでしまうのはもったいない、と思うのです。

とはいえ、可能性は無限大ではありません

生まれつきか? 育ちか?

『内向型人間のすごい力』という本に興味深い議論が載っています。

そもそも本書は「内向型人間」と「外向型人間」という、2つの異なるタイプについて「内向型人間」寄りの立場で書かれています。

僕自身はどちらかというと「内向型人間」に近いのですが(だから本書に興味を持って読み始めたのですが)、いずれであったとしても「だから自分(内向型人間)はこうなのか!」、「だからあの人(外向型人間)はあーなのか!」と腑に落ちるところが多々あるでしょう(僕はありました)。

「科学的に立証された性格テストではありません」という但し書きつきではありますが、内向型・外向型のいずれに近いかを判定する質問リストが掲載されていますので以下引用しておきます(「マルが何個ついたら内向型」といった解説も付されていませんので、あくまでも目安ということで)。

  1. グループよりも一対一の会話を好む。
  2. 文章のほうが自分を表現しやすいことが多い。
  3. ひとりでいる時間を楽しめる
  4. 周りの人にくらべて、他人の財産や名声や地位にそれほど興味がないようだ。
  5. 内容のない世間話は好きではないが、関心のある話題について深く話し合うのは好きだ。
  6. 聞き上手だと言われる。
  7. 大きなリスクは冒さない。
  8. 邪魔されずに「没頭できる」仕事が好きだ。
  9. 誕生日はごく親しい友人ひとりか二人で、あるいは家族だけで祝いたい。
  10. 「物静かだ」「落ち着いている」と言われる。
  11. 仕事や作品が完成するまで、他人に見せたり意見を求めたりしない。
  12. 他人と衝突するのは嫌いだ。
  13. 独力での作業で最大限に実力を発揮する。
  14. 考えてから話す傾向がある。
  15. 外出して活動したあとは、たとえそれが楽しい体験であっても、消耗したと感じる。
  16. かかってきた電話をボイスメールに回すことがある。
  17. もしどちらか選べというなら、忙しすぎる週末よりなにもすることがない週末を選ぶ。
  18. 一度に複数のことをするのは楽しめない。
  19. 集中するのは簡単だ。
  20. 授業を受けるとき、セミナーよりも講義形式が好きだ。

※ちなみに僕自身は20個すべてにマルがつきました…。

で、この「内向型」と「外向型」は持って生まれた傾向なのか、後天的に偏向していくものなのか、という議論です。

人前で話すのが怖いのは、私が高反応の内向型だからだろうか。たぶん、そうではないだろう。高反応でも、人前で話したり演じたりするのが好きな人もいるし、外向型なのにスピーチ嫌いだという人も多い。スピーチはアメリカ人にとって怖いものの第一位で、死に対する恐怖をうわまわっている。スピーチ恐怖症の原因はいろいろあり、たとえば幼時体験があげられるが、その内容は人それぞれであり、生まれつきの気質ではない。

文中に出てくる「高反応」とは「内向型」の持つ特性とも言えるもので、刺激に対して敏感に反応することからこのように呼ばれています。高反応であるということは「警戒心が強い」ということであり、たとえば「初対面の人間に対して用心深く接する」ことになります。

一方、「外向型」は逆に「低反応」であり、端的に言えば「初対面の人間に対してでもフレンドリーに接する」ことになります。

先天的な気質(高反応・低反応)の影響からは免れ得ない、ということです。これをポジティブに捉えるなら「持って生まれた傾向を活かせばOK」ということになります。この「活かす」という部分は自由意志です。すなわち「やりようはある」ということです。

これについては、以下の二文が非常に分かりやすいです。

自由意志は私たちを大きく変えるが、それは遺伝子が定めた限界を超えて無限にという意味ではない。どんなに社交術を磨いてもビル・ゲイツはビル・クリントンにはなれないし、どんなに長くコンピュータの前に座っていても、ビル・クリントンはビル・ゲイツにはなれないのだ。

「生まれ通り」から大きく逸れない範囲内において「思い通り」に生きられるということです。

そのためにも自分の「生まれ通り」をまずは把握したうえで、「思い通り」を追究するという順番がよろしいでしょう。

参考文献:

以前、『内向型人間の時代』という書名で刊行されていたものが文庫化(&Kindle化)されたもので、内容は同じです。

著者はもちろん「内向型人間」なのですが、同じ「内向型人間」の僕から見ると、「内向型人間」であるがゆえの周到すぎるほどに集められた事例のボリュームと、誤解や曲解の余地を許すまいとするかのようなギッシリと詰まった文章とに、やや圧倒されます。

念のため誤解のないように補足しておきますが、「内向型人間」のほうが「外向型人間」よりも優れているのよ、という内容ではありません。