※当サイトはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています。

こういうときに、記録を読み返すようにしています



大橋悦夫人間ですから好調なときもあれば不調なときもあります。

常に好調であり続けることはできません。

好調と不調は寄せては返す波のように交互にやってきます。

好調なときはともかく、不調なときは次の好調がやってくるまでの間をなんとかしのぐ必要があります。

不調なときをうまくしのぐ「すべ」を持っておかないと、不調がくるたびに好調時の“稼ぎ”をすべて失うことになってしまうからです。

僕自身は、不調が来たな、と感じたら次のようにして、しのいでいます。

これまでに不調だったときの記録を読み返す

これだけです。

不調だったときの記録をすぐに特定できるように、Evernoteに専用のタグを用意しています。

そのタグのついたノートだけをひたすら繰っていくのです。

さまざまな原因で、さまざまな形で、不調を煩います。断片的な記載であっても、それを目にすることで、記憶が蘇ります。

そのときの感情が“再生”されるわけです。

すると「今のような不調は初めてのことではないのだ」ということが確かめられます。

不調とは不安です。

いま実感している不調が今後もずっと続き、

  • 「このままどんどんダメになっていったらどうしよう…」

という不安を連想するのです。

過去の不調時の記録を読み返すことで、この連想を断ち切ることができます。

なぜなら、不調の後にふたたび好調が戻ってくることが記録の上で確認できるからです。

いま現在陥っている不調を客観的にとらえ直すことができ、落ち着きを取りもどすことができるわけです。

従って、不調だな、と感じることがあったら将来にふたたびまた不調を感じるときに備えて、「チャンス!」とばかりに、いまの感情をせっせと記録に残すことです。

「書いておけばよかった」「書かずにもったいないことをした」

愛読書の1つである『日記の魔力』より、少し長いですが、引用します。

多くの人は、昨日と今日は変わらないと思っている。
だが私は、本には変わらないつもりでいても、絶対に変わっていると思っている。
この「絶対に変わっている」という自信が大切なのだ。

しかし、日記をつけないかぎり、その自信は得られない。
毎日同じ24時間、自分も変わっているようには見えないし、女房も同じ顔をして同じようなことをしている。
だから昨日と今日は同じ、と思ってしまうのだが、それは観察が粗くて気づいていないだけなのだ。

日常を細かく観察していけば、変化は必ずある。

私は、人生におけるさまざまな事実については、すべて日記に書く値打ちがあると思っている。
だから、できるだけ細かく記録しているのだ。

事実はすべて書く価値がある。

そうはいっても、一日の行動をすべて日記に書くことはできない。
1日24時間の行動を細大漏らさずすべて書いていたら、翌日の24時間が日記を書くことで潰れてしまう。そんなことをしていたら、その次の日は、一日中昨日の日記を書いていたと書かなければならなくなる。
そこまで極端でなくても、やはり日記に書く内容は、ある程度取捨選択する必要がある。

では、何を捨てて何を書けばいいのか。
この答えは一人ひとり違ったものになる。
自分にとって必要なこと、自分にとって大切なことを書けばいい、というのが答えだから。

目安をつくるとすれば、「書いておけばよかった」「書かずにもったいないことをした」と、あとで後悔しないように、ということだろう。

「書いておけばよかった」「書かずにもったいないことをした」と感じるためには、実際に日記を書いてみて、“書き漏らす”という失敗を経験する必要があります。

でも、著者の指摘するようにあらゆる行動を書くことはできないわけですから、どこかの時点で妥協することも求められます。

さらに、単に書くだけでなく、読み返すことで、「記録しておくべき行動内容とは何か?」という疑問に対するヒントが得られるはずです。それがわかれば、日記の“回収率”はどんどん向上していくでしょう。

今回のように「不調だな」と感じたことについてはもちろん、ふと思ったことでも、そのまま流してしまうのではなく、日記に書く。そして、後日読み返す。これが、自分の関心を知るための有効の方法になるでしょう。時代の変化だけでなく、自分の変化についても深く知ることができるようになるはずです。