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『受験は要領』は大人になって、いつのまにか失われていた要領を取り戻すための一冊



大橋悦夫以下の続きです。

その後も、日記の探索を続けていたのですが、『ワープロ作文技術』よりもさらに前に「本師」があったことが分かりました。

この本については、長くなるのでまた改めます。

「この本」とは『受験は要領』という本です。



本書については、これまでにも繰り返しブログでも取り上げているのですが、あまりにも多いのと、すでに公開していない記事があるのと、さらにEvernoteに個人的な読書メモとして残してあるメタな記事があるのとで、改めて一つにまとめたくなったので、まとめてみます。

大人になって、いつのまにか失われていた要領を取り戻す

実際に私の本を読んで成功した受験生に話を聞いてみると、彼らは私の本を“マニュアル”としてではなく、一種の“思想本”として読んでいたことがわかる。本から「受かるための要領」というコンセプトを吸収し、本に出ているノウハウを、より自分に合った形にアレンジしているのである。

たとえば、5章でお話しする「朝の15分を前日の復習に当てる」というやり方にしても、私の経験から導かれたノウハウである。だから人によっては朝の15分より「夜寝る前の10分」、あるいは「昼休みの20分」のほうがいい結果が出てくる可能性もある。

重要なのは、「朝か昼か」ではなく、「効率よく記憶に定着させるには、短い時間の反復が効果的」というコンセプトなのである。これさえつかんでいれば、多少やり方は違っても、自分にとってもっとも効果的な“自分だけのマニュアル”を作れる。受験に強いヤツほど、実はこうした“自分だけのマニュアル”をたくさん持っているのである。

試験範囲をまんべんなく勉強するのではなく、志望校の赤本(過去の試験問題)を徹底的にやってみて、そこに出てきた分野を重点的に攻略すれば合格できる──。

当時、受験生だった僕にこの考え方を教えてくれたのが和田秀樹さんの『受験は要領』。

思えば、この本はムダな勉強をしたうえに志望校に合格できない、という受験生にとっては最低最悪の損を回避するためのバイブルでした。

読み返してみると、これは受験生にとってのバイブルであると同時に、大人にとっては、いつのまにか失われていた要領を取り戻すための一冊といえるもので、その後も折に触れて読み返しつつ、読書メモを作ったり、ブログで記事にしたりしてきました。

受験勉強であれほど苦労して身につけた知識は、その後の仕事にはほとんど役に立つことはありませんでしたが、その過程で身につけた「知識を身につける方法」は、非常に役に立っています。

社会人になってから本書を読み返してみて、改めてそのことに気づかされました。

大きく分けると以下の2つです。

  • 受験勉強で身につけたテクニック(やり方)
  • 受験勉強で身につけたマインド(考え方)


受験勉強で身につけたテクニック(やり方)

カード方式

カードの実践的使い方を伝授しよう。カードの効用は、憶えたことと憶えられないことを明確化することにある。たとえば、私は何度も辞書でひいた熟語や、どうしても憶えられない数学の解法などをカード化しておいた。こうすれば自分の暗記していないことがらがはっきりするわけだ。

(中略)

暗記に使ったカードは、保存しておいて入試直前の暗記チェックに使うと、抜群に役に立った。暗記し残したことをチェックする、一種の「残務整理」に使えるわけである。

カードに書きこむことは、暗記しようと努力して憶えられなかったことだけである。単語などを最初から、カード化する必要はまったくない。そして内容を憶えやすくするために、周辺の情報をなるべく多く書きこむといい。

たとえば、私は英単語を辞書で引いたときは、例文までかならず書きこんでおいた。

出身大学が外国語学部英語学科だったこともあり、英語の勉強法についてはマニアックに研究していた時期がありました。

大学に入るための勉強法に始まり、入学した後は外国人教員による英語で行われる授業についていくためのリスニングの勉強法、TOEICのスコアアップのための勉強法などなど、必要に迫られて試行錯誤を重ねてきています。

たとえば、受験時代は右図のような単語カードを使って英単語やイディオムを暗記をしていました。オモテ面に虫食いクイズを、ウラ面にその答えと類義語や別の用例などを書いておきます。

こうしたカードを大量に作り、ひまさえあればカードを繰って頭にすり込み、憶えたものはリングから外していく、という“作業”を繰り返していました。

こうすることで、リングに残っているカードがまだ憶えていない“暗記在庫”ということになるため、減っていけば達成感がありますし、増えてくると気合いが入る、というわけです。

今思うと、よくもまぁそんな面倒なことをやっていたものだと思うのですが、この考え方とやり方自体は今でも通用します。

※以降、本文は「である体」になっていますが、これは読書メモをほぼそのまま転載しています。

イヤな仕事から先に片づける

私は受験生となぜ、その科目が苦手なのかをよく話し合ったが、たいていは授業をまじめに聞いたことがないし、教科書を真剣に読んだこともないという当然の理由だった。胸に手を当てて考えてみてほしい。苦手の理由はたんに勉強していないからという場合がほとんどだと思う。

苦手は才能の問題ではない。単純に暗記量が少ないだけのことなのである。苦手教科を克服するには、徹底した暗記戦術にかぎるが、その際、苦手科目はコストパフォーマンスが、もっとも高い科目だと思うと勉強に意欲が出てくる。なぜなら、苦手科目は、もともとアタマの中に、何もはいっていない。いってみれば、頭の中は真っ白な地図のようなものだ。この地図を塗っていくのは楽な作業である。

これが、ある程度できる科目だと、そうかんたんではない。20点しか点を取れなかった科目を50点にするほうが、50点を80点にするより、ずっと楽だ。それに必要な時間も、ずっと短くていい。同じ30点を獲得するのでも、「低コスト」で実現できるわけだ。

慣れている仕事や苦もなくできる仕事は、スピーディーにできるが、先送りしがちなイヤな仕事というのは手を付けるまでにも時間がかかるし、手を付けてからも集中力が途切れがち。

でも、こういったイヤな仕事を苦もなくできる仕事に変換することができれば、作業効率は格段にアップする。すでに苦もなくできている仕事の効率をそれ以上改善したり時短を計ろうとしても効果は知れているが、あまり経験のない仕事であれば、やればやるほど改善の余地が出てくる。

あとは、やるかやらないかだけの問題となる。

コツとしては、イヤな仕事をいくつかのパーツに分解して、間に苦もなくできる仕事を挟むようなサンドイッチ方式で進めるといい。苦もなくできる仕事だけを先に片づけてしまうと、イヤな仕事が後に残り“息継ぎ”ができなくなってしまう。

バッファの確保

浪人生はもちろん、学校の授業だけでは足りず、予備校に通う現役生も多い。だが、予備校は、自分の受験計画に応じて、こちら側からうまく使わないと、もう一年浪人するハメにもなりかねない。なぜなら、予備校の教師は、学校の教師と同じく、担当教科のプロであっても、受験全体のプロではないからだ。

同じことが仕事にも言える。ある1つの仕事(特にイレギュラーな仕事)にかかり切りになって、あるいは夢中になった結果、通常業務に支障を来すことはよくある。

やむを得ない対応だったとしても、

  • 1.全体のスケジュールの中でどの程度の影響があるのか、
  • 2.ダメージになるならどの程度なのか、
  • 3.リカバリーにどの程度の時間が必要なのか

を正確に把握したうえで、没頭したい。没頭することそのものは良いことだと思うが、その後のレジュームがうまくいかないとストレスになる。

普段から自分のスケジュールの中に具体的に何時間のバッファがあるかを知っておく。例えば、個人的には3時間ごとに30分のバッファを設けるようにしている。7:00~19:00という12時間の間に3時間のユニットは4つあるが、スケジュール消化に使える実質的な時間は2.5時間×4=10時間ということになる。

もし飛び込み対応が発生しても、常に2時間は確保できていることになる。

遊び場・仕事場・逃げ場

チャーチルは、毎週末、郊外の自宅である楽しみを行なうことによって、宰相としての激務の疲れをいやしていた。その遊びとは、レンガ積みであった。ある日、出入りの左官屋が残していったレンガに目をつけたチャーチルは、いたずら心を起こして、それを一日がかりで積みあげて、庭に塀をめぐらしてしまった。

この単純な作業が、いたくチャーチルは気に入り、それからは、週末がくるごとに、せっせとレンガを積みあげて、塀作りにいそしんだ。

言ってみれば、大人の積み木遊びのようなものだが、チャーチルは、「イギリス中で、レンガを積ませたら、私の右に出るものはいない」といって自慢していたという。この塀作りは彼にとって最良の遊びであり、そうした遊びで気分を切り換えることができたおかげで、彼は、首相としての激務にフレッシュな気持ちで臨むことができたのである。

仕事の合間にホッと一息つける“遊び場”のような習慣を持つと良い。“仕事場”から離れることによって初めて仕事に活かせるようなアイデアがひらめく可能性が期待できる。

これとは別に、とりあえず何も考えずにいられる“逃げ場”もあると良い。仕事から離れているという罪悪感や焦りが、“仕事場”に戻った時の集中力を生む。

まず、スケルトンを作る

そうでなくても憶えにくい単語をひとつひとつ憶えようとしたり、あまりにこまかい個別事項に執着するのは貴重な時間のムダ遣いである。ディテールにこだわらず、まず大筋をつかむことが受験勉強の暗記を効率的にすすめることになる。

たとえば、私は『試験に出る英単語』(青春出版社)を暗記する場合には、意味がふたつあったら、まず1つだけを憶えた。

反対語、同義語などは最後でいい。確実に、ひとつの意味を、憶えてから、他の意味を憶えるようにする。最初に暗記の核をしっかりさせておくためである。

細かい調整は後回しにして、とにかく早く全体像をつかみ、見通しをつけること。プレゼン資料を作っている時などに、図表やオブジェクトの配置や色遣いなどに凝るなど、見栄えを良くすることに腐心していると、時間ばかりかかっていっこうに終わりが見えてこない。

まずはラフに四角形を描いてその中に何を書くのかのメモを書く程度に留めて、とにかく最後のスライドまで作りきってしまう。その状態はスケルトンだが、文字通り骨格は浮かび上がる。あとは、残り時間の中で優先順位をつけながら必要十分な肉付けと化粧を施していけばいい。

提案を通すことが目的であって、アーティスティックなセンスを訴えるものではない。

やっていて楽しい作業には、一度立ち止まって目的と意義に沿ったものであるかどうかを確認する。

始める前に発見と課題を先取りしておく

ここで、受験生諸君に一つアドバイスしておこう。それは志望校を決めたら、その大学の過去5年分の入試問題をさっさと暗記してしまうことだ。受験生の中には、志望する大学の入試問題を、入試直前まで手をつけずにとっておいて、力がついてから力試しに解いてみるという人も多い。

しかし、こんなやり方をしていると、それこそ偏差値競争のワナにはまる。孫子の兵法にいわく「敵を知り、己を知れば百戦危うからず」だ。志望校の入試問題は、力を試すためではなく、問題傾向をつかみ勉強法や自分の弱点を補い、受験戦争の“戦略と戦術”を組み立てるためにあるのだ。

ブログをやってみたらどうですか、と薦めると「私が文章が苦手なので、文章がうまくなってからブログをやろうと思ってます」という人がたまにいる。

やったことがないことについて、自分なりの攻略手順を考え、その手順に沿って地道に1つずつステップをこなしていくことによってゴールに到達する、という方法ではその攻略手順がそもそも現実に沿っていないものであればそれまでのステップがすべて無駄になる。

まずやってみる。うまくいかなければ自分に不足していることが明らかになる。言い換えれば、何らかの手応えは残る。記念受験であっても「難関大学でもこんな基本問題が出題されるのか!」という発見や「もっと解答スピードを上げなくては」という課題が得られる。

それがあって初めて無駄を省くことができる。つまり、何をすればいいのかが明らかになる。

100必要な時はあえて60とか70くらいしか用意しない

この医師国家試験は、5月の春の試験だったが、私が試験に備えて勉強にとりかかったのは、年もおしせまった12月からだった。つまり正味5ヶ月で、医師国家試験に必要な知識をつめこもうしたわけである。

これは、私の持論である「勉強時間はかぎられていればいるほど、切迫感が増し、集中力が生まれる。したがって、能率は飛躍的に向上する」という理論に基づくものだと言いたいが、遊びほうけていてなかなか勉強する気が起きなかったというのが本当の話だ。だが結果的には、試験勉強の時間を短期にして、集中力の凝縮ができたのが図にあたった。私は1日10時間の猛勉強を課し、試験に合格した。

忙しくなり、コマギレではなくまとまった時間が必要、ということでまる一日アポを入れない日を作ってはみたものの、勢い一日の時間すべてが自分の自由に使えるという現実を前にすると、人は油断してしまう。

100必要だからといって、100を用意しても十分に使えない。そこで、100必要な時はあえて60とか70くらいしか用意しないようにしたり、自分ではどうにもならない予定を1つや2つ入れておく。

例えば、大きな作業を抱えている時でも、まるまる一日をそのために空けるのではなく、午後に1件とか夕方に1件、という程度のアポを入れておくと「午後からアポがあるので、午前中に仕上げなければ」という切迫感と、これにともなう集中力が生まれる。

こうして時間が複数のセクションに分割されることによって、それぞれのセクションごとに集中力を発揮することができる。セクションの間にあるちょっとした時間(例えば、移動時間)がインターバルになり、次のセクションに向けて集中力のエネルギーを充てんできる。

セクションの長さは短すぎても長すぎてもうまくいかない。経験をベースにチューニングして、最適なスケジューリングを目指す。

受験勉強で身につけたマインド(考え方)

根性がないからではなく、工夫が足りないからである

第三の迷信は受験というと、とにかく“根性論”がもち出されることだ。もうマンガだって“スポ根”路線ははやらない。受験に必要なのは根性ではなく“要領”である。よく大手の予備校などで、「日々是決戦」なるスローガンにお目にかかる。また、多くの受験雑誌などにも、「根性」とか「努力」といった言葉が散見される。

しかし、根性は工夫を生まない。工夫のないところに進歩はない。できないことを克服するのが単調な努力というのでは、問題はいつまでたっても解決しない。受験勉強がつらく感じられるのは、根性がないからではなく、工夫が足りないからである。根性を忘れ、要領を発揮して新しい方法を考えるほうが、よほど能率は上がるものだ。

「受験勉強」を「仕事」に置き換えてもすんなりと受け入れられる。

「仕事がつらく感じられるのは、根性がないからではなく、工夫が足りないからである。根性を忘れ、要領を発揮して新しい方法を考えるほうが、よほど能率は上がるものだ」

そういう意味では「気合い」という言葉にも注意が必要。

成功本より失敗本

教師のいうことや、「合格体験記」などの精神訓話をう飲みにして戦場に出ると、たちまち戦死である。タテマエをそのまま信じるとひどい目にあうのは、大人の世界だけの話ではない。

受験生が知るべきは、こうしたきれいごとの「オモテ・カリキュラム」ではなく、知ればかならず役に立つ「ウラ・カリキュラム」である。すなわち、「物理、化学はいつごろからはじめたか」とか「共通一次対策は、いつからはじめたか」あるいは「微分・積分をはやくモノにするには、どういう参考書を、どう使ったか」といった実践的な技術なのだ。

こうしたほんとうの知恵は、受験のプロである受験生しか知らない。いくら教師が逆立ちしても、彼らは受験の当事者ではないので、こうしたことは教えようにも教えようがない。

こうした知恵を学ぶには、成績優秀な先輩より、むしろ合格しそうもないのに合格した先輩の話を聞くのがいちばんいい。そこにはかならず、何か実践的なノウハウがあるはずだ。アタマのいい者のノウハウは、あまり参考にならないが、筆者のような凡才にとっては、こうした先輩の話は、ひとつの逆転の契機を秘めているように思われる。

いわゆる“成功本”が「なるほど!」と思えることがあってもあまり参考にならないことが多いのは、偉そうに書かれたタテマエ論だからではないだろうか。ど のようなことに苦労して、どのような失敗をして、それをどう克服したのかが実践経験に基づいて具体的に書かれている方が参考になると思う。

そういう意味では「こういう風にやってみた結果、こういう失敗をした」という“失敗本”の方が役に立つ。

自分でやるから自信がわく

言うまでもないことだが、動機が強いヤツほど受験に強い。クルマで言えば、エンジンのパワーが動機だ。どんなにドライビングのテクニックがあっても、エンジンのパワーが20馬力しかなければ、スピードは出ない。200馬力で、しかもオートマチック車に乗れば、少なくとも直線では、F1ドライバーの乗る20馬力のクルマに勝てる。

素質やテクニックだけでは決まらないのが、受験勉強のおもしろいところである。しかし動機とテクニックがかみ合えば、受験勉強の効率は恐ろしくアップする。受験勉強の要領というと、テクニックだけを指すように思われがちだが、それは一面的な見方でしかない。

見方を変えると、受験勉強とは、動機をどう引き出しどうコントロールするか、という一種の“心理ゲーム”のようなものと考えていい。

テクニックは伝達可能な形式知である一方で、やる気とか動機付けというのは人によって形も質も異なる暗黙知である。誰かが「こうすればやる気が出る」と発表しても、それが当てはまらない人も出てくる。

テクニックは仲間と一緒に切磋琢磨できるが、やる気は自分で何とかするしかない。自分で何とかするからこそ、うまくいくことで自信が湧き、「こうすればいいのか」という確信が得られる。

しかし、その確信は形式知として自分の外に出した途端に陳腐化してしまう。

切磋琢磨のメリットを最大限に享受しようとするなら、シェアしようとしている対象がテクニック(一般名詞)なのかエンジンのパワー(固有名詞)なのかを見極める必要がある。

人はイメージにだまされる。見た目と実態は大きく異なる。

たとえてみるなら、受験勉強は、農作業のようでもある。農民が毎日、野良に出て、根気よくかつ丹念に畑を耕し続けるように、暗記の畑にクワを入れ、暗記の量を増やしていく。またある面では、製造業でもある。腕のいい細工ものの職人が、毎日コツコツと緻密な細工を加えて、製品を完成していくように、自分の暗記を細心に積み上げていくことでもある。

これをなまじ知的労働と美化すると、頭の良さ=考える力などというきれいごとに逃げこむことになり、その結果、暗記の精度は低下してしまう。暗記勉強を続けていくには、自分は“肉体労働者”であるという覚悟が必要なのである。

知識労働といえども、その仕事を細かく砕いていけば、地味な単純作業に辿り着く。人はイメージにだまされる。見た目と実態は大きく異なる。

自分が人からどんな風に見られたいのか、あるいは結果としてどのようなことをやっていたいのかを考えたとき、やらなければならないことは「見られたい姿」や「やっていたいこと」に近づくことではない。

むしろそこから離れることだと思う。

コツコツ、コツを集める

言語学を持ち出すまでもなく、世界じゅう、どんな言語でも、単語だけを並べただけでは意味は生まれない。つまり単語は、そのままでは使いものにならない、たんなるユニットだ。単語だけを憶えるのは、将棋でいえば駒の動かし方だけを憶えるようなものだ。いくら金や銀の動き方を知っていても、将棋は強くなれない。いろいろある駒をどう関連づけて使うか──すなわち、定跡を知ってはじめて、将棋というゲームは成り立つのである。

英語力向上の秘訣は、できるだけ多くの英短文を憶えることである。英短文は、将棋で言えば定跡にあたる。定跡をしっかり憶えて、はじめて駒である単語の使いようがわかってくる。英短文の暗記は多ければ多いにこしたことはないが、時間の制約もあり、できることなら省エネ学習をこころがけたい。大学入試レベルで言えば、500~700も憶えれば十分である。

仕事を効率よく進める上では無数のコツがあるが、これらのコツを実際の仕事に活かすには、コツの使い方を知っておく必要がある。コツの使い方は、コツそのものを知っているだけでは身につかず、頭の中にある知識としてのコツを実際の仕事に当てはめる試行錯誤を通して、少しずつ身体に染みこんでいく。

コツを知らずに取りかかると痛い目に遭うことが少なくないものの、知識としてのコツを知っているだけよりも身になる経験ができる。大切なことは、痛い目に遭ったら、次回にそれを防ぐ上で必要なコツをそこから拾い集めること。

頭で覚えるより身体で覚える

行儀のいい奴ほど暗記力が悪い、と私は考えている。「何時間やっても憶えられない」という、受験生の話を聞くと、かならずと言っていいほど、机の前にじっと座って真面目に勉強している。君たちも、落ちつきはらって勉強しているのなら、そんなやり方はただちにやめたほうがいい。暗記には、落ちつきのなさと不作法さが必要なのだ。

不作法といっても、寝そべって勉強しろと言うわけではない。その逆で、立ち上がって、部屋の中を歩き回り、声を張り上げながら勉強するのだ。こうすることで、五感をフル活用して暗記すべき対象にあたることになる。机に向かって読むのは、視覚だけで情報を吸収していることだ。歩いたり、声を出したりして五感を総動員すれば、吸収力も、記憶の定着も全然違うのだ。

頭と身体という対比を考えたとき、頭で考えるとは言うが身体で考えるとは言わない。でも、頭で覚える・身体で覚えるなら両方言う。しかも、頭で覚えたことよりも身体で覚えたことの方が身につく。身体で覚えるから身につく。

参考文献: