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なぜ分単位で行動記録を残すのか? ずっと取り続ける必要があるのか? 意味はあるのか?

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大橋悦夫1998年8月にTaskChuteの原型となるExcelシート(時間記録簿)を作り始めて以来、17年間にわたって分単位での行動記録を残しています。

記録にこだわるようになったきっかけは今から18年前の、ある出会いにさかのぼります。

ジャーナルとロールバック・ロールフォワードに軽い衝撃

1997年2月、当時はシステムエンジニアとして販売管理システムの開発に携わっていました。その現場でデータベースのジャーナルとロールバック・ロールフォワードという仕組みに出会い、軽く衝撃を受けました。

» ロールバックとロールフォワード|データベース|基本情報技術者講座

例えば、在庫にある商品を販売した場合を考えてみよう。販売した商品のデータを売上テーブルに登録し、商品の在庫データから販売数を引いてやる処理をおこなう。このようにいくつかの処理を1セットとしておこなうのがトランザクション処理である。

トランザクション処理において、処理の途中で何らかの障害が発生したとき、データの整合性がとれなくなる。トランザクション処理の途中で障害が発生したときは、ジャーナルファイルを用いてトランザクション処理開始時点の状態に戻してデータの整合性を保つ処理がロールバックである。

この「仕組み」に軽いながらも衝撃を受けた理由は、一言でいえば「再現性」がきわめて論理的かつ美しく実現されていたからです。

ある時点におけるデータベースの状態は、直前に行われたデータの追加・修正・削除(=トランザクション処理)の結果です。データベースに対してどんなトランザクション処理が行われたのかを逐一記録しているのがジャーナルファイル(以降ジャーナル)です。

例えば、データベースに格納されている、ある商品の在庫数の値が実際の在庫数と一致していないことに気づいたとします。

もし、結果だけしか残っていなければ「どうしてこうなった?」という疑問が生じたときに何もできなくなります。

ジャーナルが残っていれば、これを時系列に辿っていくことで、いつの時点で値がおかしくなったのかを突き止めることができます。

家計簿=データベース、レシート=ジャーナル

これは、家計簿をつけつつ、その記録の元となるレシートをすべてもれなく保管しておくようなものです。

家計簿上の残高と財布の中身とが一致していないことに気づいたときに、レシートを時系列に辿っていくことで、その不一致の原因を突き止めることができます。それは家計簿への記録ミス、あるいは記録もれのいずれかでしょう。

家計簿が失われたり、あるページが抜き取られたりといった“障害”に遭ったときでも、レシートというジャーナルがあることで、家計簿を“復元”できるわけです。

とはいえ、家計簿をつけおえたらレシートは捨てられることが多いでしょう。家計簿というデータベースへの記録(=トランザクション処理)が済んでしまえば、レシートというジャーナルは無用だからです。

ただし、レシートを捨てることでスッキリはしますが、家計簿にもしものことがあったときに復元する手段を失うことになります。

記憶のジャーナルとしての記録

人の記憶はデータベースのメカニズムよりもずっと複雑だと思いますが、それでも、日々の“トランザクション処理”によって状態は常に変化し続けている、という点は共通しているでしょう。

例えば、「ある英単語の意味を知っている」という状態があるとき、必ず過去のどこかの時点で「その英単語の意味を記憶する」という“トランザクション処理”が行われていたはずです。

それが「ある英単語の意味を知っている」という状態になってしまえば「その英単語の意味をいつ記憶したのか」というジャーナルは無用になります。

かくして、レシートと同様、ジャーナルにあたる情報は多くの場合、記録に残らないことになります。

その結果、不意に「どうしてこうなった?」という疑問にぶつかったときに、辿るすべを失っているために、そこで立ち往生することになります。

「どうしてこうなった?」の原因を突き止める

英単語の意味であれば、辿れなくても問題はないかもしれませんが、例えば以下のような場合はどうでしょう。

  • ふと時計を見ると22:57。
  • 今日やろうとしていた仕事はひとつも終わっていない。
  • どうしてこうなった?

ここで記録が残っていれば、すなわち、22:57に至るまでのジャーナルがすべて残っていれば、どの時点で“道”を誤ったのかを辿ることができます。

原因を特定できれば、翌日以降はトランザクション処理の方法を改めることができます。

ジャーナルが残っていなければ、もう自分を責めるしかなくなります。

逆に、仕事が予定通りに進み、定時で退社できた、という場合は、その日のジャーナルをそのまま翌日にコピーし、これに沿って行動すれば、翌日もまた同じように定時で退社できる可能性が高まります。

つまり、良い結果をもたらしたジャーナルを引き継いでいくことで、良い結果の再現性を高めることができるわけです。

なぜ分単位で行動記録を残すのか?

再現性の精度は、ジャーナルの精度にかかっています。「時間単位」では大ざっぱすぎますが、「秒単位」では細かすぎて記録が難しくなるため、その間の「分単位」に落ち着きます。

例えば、今日17分かかった仕事は、明日も17分前後はかかるでしょう。

もちろん、作業手順を工夫したり、作業に習熟することで所要時間を短縮することはできるかもしれません。でも、その変化は漸次です。急に1分に縮んだり逆に1時間に膨らむことはありません。

もちろん「仕事がちゃんと終わりさえすれば、それでいいじゃないか」ということであれば、わざわざ手間と時間をかけてジャーナルを残す必要はないかもしれません。

でも、「自らの意志で予定通りの時間までに意図した通りに仕事を終える」という結果を繰り返し再現しようと思うなら、日々のジャーナルというトレース(踏み跡)が欠かせないでしょう。

ジャーナル < 仕組み < 成果物

再現性の高い仕事は、言い換えれば「仕組み化」が進んでいる仕事ということになります。

では、その「仕組み」はどのように作られるのか?

『小飼弾の「仕組み」進化論』という本に以下のようなくだりがあります。

生物の進化の記録は、すべてDNAに記録されています。
遺伝子には何の役にも立っていないように見える「ジャンクDNA」と呼ばれる領域がありますが、これは進化の過程で使われなくなった遺伝子ではないかと考えられています。

用がなくなればさっさと捨てればいいようなものですが、こうしたジャンクDNAは、どうやら重要な役目を果たしているようなのです。

環境が変化したときに発現する遺伝子の貯蔵庫だという仮説も提唱されています。

生存が脅かされたら、倉庫から昔の記録を引っ張り出して、使えそうな仕組みを用意するというわけです。

ここから学べる知見は、成果物は捨てたとしても、それを生み出すための仕組みを捨ててはいけないということ。仕組みを捨ててしまうと、それをもう一度生み出すには並大抵ではない苦労が必要になります。



ここで言う「生物の進化の記録」とはまさにジャーナルでしょう。

成果物を生み出すための「仕組み」があるとき、その「仕組み」は日々のジャーナルを材料として組み立てられたものである、と言えるのではないかと思います。

何もないところから急に「仕組み」がふわっと生まれることは考えにくいからです。

すべての作業過程を記録に残し、そこから不要なものを取り除き、必要なものを付け加えた結果が「仕組み」というわけです。

例えば、Excelのマクロ記録という機能は、まさに操作の記録をもとに繰り返し実行可能なマクロ(仕組み)を作ってくれます。

まとめ

今回の記事は、1997年2月の記録が起点になっています。

「どうして分単位で記録するようになったのか?」という疑問を解決するために、ジャーナルに当たってみたわけです。

今後もこの考え方が変化したり進化したりしていくと思いますが、その変化を後から辿れるようにするためにも、引き続きジャーナルは続けていこうと思います。

分単位の記録は、そのほとんどは見返されることなく淡々と蓄積されていくだけですが、ごくわずかであれ、未来のどこかの時点で引き出され、活用されることもあるでしょう。

そこで得られるリターンが果たしてペイするほどのものなのかはわかりません。でも、そのペイするかどうかの基準もその時には変化しているかもしれないことを考えると「意味がない」とは言い切れないのではないか、と考えています。

 

▼編集後記:
大橋悦夫



今から10年前の2005年5月25日にこのブログに最初の記事を投稿しました。


その日のジャーナルを読み返してみたところ、19:30から「Life Hackers Conference 2005」というイベントに参加していたことがわかりました。

このイベントについては、以下3つの記事が詳しくレポートしています(いずれもリンク切れ…)。

» 第五回アカデメディアは「Life Hackers Conference 2005」:チェックリストという Life Hacks – インターネットコム
» 第五回アカデメディアは「Life Hackers Conference 2005」:はてなの Life Hacks – インターネットコム
» 第五回アカデメディアは「Life Hackers Conference 2005」:ユビキタス時代の Life Hacks – インターネットコム

はてなのCTO(当時)の伊藤直也さんの「アウトプットすれば、見た人が関連情報を教えてくれる」という言葉が印象に残っています。

上記の2つ目の記事に詳しい記載があります。

Blog を書く中で「情報は発信するところに集まる」ことを実感したという。例えば、自分がBlogに書いた内容に対する同意や反論、または助言など、さまざまな反応が返ってくることがあるが、それらは自ら情報発信していなければ手に入れることができなかったものである。「ものごとを勉強したり面白いことを発見したら、それらを載せることでより深い情報が集まってくる」(伊藤氏)というメリットは確かにある。

また、情報は考えながら書くことで整理される。「それは結局どういうことか、それに対して自分は何を考えたか、要約することはすごく大事」として、決してわかったつもりで終わらせないようにすることを心がけているそうだ。

このイベントに背中を押されるようにして、当時はサーバの準備だけ済ませていたブログに、記事を投下することになったのでした。

その後、紆余曲折はありましたが何とか続けられています。
このブログもまた僕にとっては貴重なジャーナルです。

10年間お読みいただきありがとうございました&今後ともよろしくお願いいたします。


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