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オートメーションが知的生産に与える3つの影響

By: JaneCC BY 2.0


倉下忠憲ニコラス・G・カーの『オートメーション・バカ』を読みながら、知的生産との関係について考えました。

» オートメーション・バカ -先端技術がわたしたちにしていること-


オートメーションは、知的生産にどんな影響をもたらすのか。考えるに、3つあります。

  • 充実感に与える影響
  • クリエイティビティに与える影響
  • アイデンティティに与える影響

充実感に与える影響

「文章を書く」作業は、ときに苦役を伴います。

細かい資料の下読み、構想の立て方、文章を執筆していくこと、執筆によって変化する構成の調整、微妙な言い回しの推敲……。

それらから解放されて、「楽に」文章を紡げたらどんなに素晴らしいだろうか、と想像しないではありませんが、そんなに単純な話でもなさそうです。

われわれが最も幸福であるのは、困難なタスクに没頭しているときだ。そのタスクとは、明確なゴールを持っていて、われわれの才能を発揮させてくれるだけでなく、それを伸ばすように挑んでくるものである。

「最も」のところに引っかかる人がいるかもしれませんが、困難なタスクに没頭しているとき、たしかに充実感が心に宿ることはあります。

もし「楽に」文章を書けてしまったら、文章を書いているときのあの没頭感も、書き上げたあとの充足感も消えてしまうのかもしれません。であれば、なぜ文章を書いているのかという意義すら危うくなってきます。

クリエイティビティに与える影響

著者は、パイロットの「頭の中」について、次のように書いています。

パイロットは、道具や計器を性格に扱うと同時に、頭の中で計算や予想、評価を、素早くかつ性格に行わねばならない。そしてこれらの複雑な知的・身体的活動を行う一方で、周囲で起こっていることにつねに気を配り、重要なシグナルとそうでないものとを見分けなければならない。フォーカスを失ってもいけないし、視野作況に陥ってもいけない。このような広範囲にわたるスキルをマスターするには、ただ厳しい実践あるのみだ。

普段からオートパイロットに頼りっきりで、実践から遠ざかってしまうと上記のようなスキルが衰えてしまい、緊急事態に対応できないと著者は警告しています。

さて、知的生産ではどうでしょうか。

仮に知的生産者が身の回りの情報に気を配らず、ただアルゴリズムによって送られてきた情報を素材としながら、それをテンプレートに流し込むだけでアウトプットを作っていたとしたら。つまり、ほぼオートパイロットで知的生産を行っていたら……。それは「厳しい実践」と言えるでしょうか。脳が、知的生産向けに最適化されていくでしょうか。

知的生産者は、パイロットのように時間的な制約の中で正確な計算と精緻な操作を求められるわけではありません。しかし、ある種の脳の機能が働いていないと、意味ある生産が行えないことはありそうです。でもって、それは実践で鍛えられるのです。何もかもを楽してしまうと、生産できるものに限りが出てきます。

パイロットにおける緊急事態とは、「平常」ではない状況への対処です。それは知的生産における「新しいものを生み出すこと」に近しくはないでしょうか。「新しいものを生み出す」思考は、「これまで作ってきたものを繰り返す」というルーチン思考では対応できません。アウトプットで楽をしていると、新しいものが生み出せなくなっていく懸念があります。

それは、築山節さんの『フリーズする脳』で指摘されている問題ともつながります。

» フリーズする脳―思考が止まる、言葉に詰まる (生活人新書)

クリエイティブな能力というのは、言ってみれば、さまざまな脳機能の総合力です。前頭葉の選択・判断・系列化する力や記憶を引き出してくる力、話す力、聞き取る力……。そういう個々の脳機能が一定以上のレベルに鍛えられ、バランスよく使うことができるようになったときに、初めてクリエイティブな才能を発揮できる、ということだと思います。

ツールの導入で効率化を進めるのは大変結構なことです。生産性は間違いなくあがります。しかし、全ての苦労を取り去って、楽だけで埋め尽くしてしまうと、喪失してしまうものがあるのでしょう。

アイデンティティに与える影響

オートメーションは、便利な存在です。「人間の代わり」にオートメーション(のシステムやツール)が苦役を担ってくれます。でも、それは主人と奴隷のような関係なのではない、と著者は述べます。オートメーションは、ツールであり、いわば手足の拡張なのだと。

そしてそれは、そのまま自己認識の問題に返ってきます。

どういうことでしょうか。

小林啓倫さんの『今こそ読みたいマクルーハン』では、マクルーハンが言う「メディア」の意味がわかりやすく解説されています。

» 今こそ読みたいマクルーハン (マイナビ新書)


マクルーハンにとってメディアとは、「人間の身体・神経を拡張するもの」であり、=テクノロジーな存在です。これはそっくりそのまま、オートメーションにも適応できます。オートメーションはメディアなのです。

そして、そのメディアはマッサージします。道具はたんに使われるだけでなく、使う存在にも影響を与えるのです。時計しかり、地図しかり、インターネットしかり。この問題は、カーの前著『ネット・バカ』でも議論されています。

» ネット・バカ インターネットがわたしたちの脳にしていること


「オートメーションは、便利な道具だね」、で終わる話ではなく、オートメーションと深く関わることは、私たちが自分をどのような存在であると考えるのか、あるいは世界をどのように認識しているのかにも影響を与えます。

その影響が、善きものなのかどうかはわかりません。そもそも善悪は基準線の取り方で変移してしまうものです。ただし、影響を受けて失われてしまうものが、必要なものかどうかをあらかじめ考えておくことはできるでしょう。

もちろん、考えたからといって変化を退けられるとは限りませんが。

さいごに

オートメーションが深く侵入した「知的生産」の世界は、神林長平さんの『言壺』で見事に描かれています。

» 言壺 (ハヤカワ文庫JA)


調和と抵抗。ユートピアとディストピア。両義的な世界が広がっています。

アフター・ワーカムの世界に突入する前に、今の世界でできるだけのことをやっておくべきなのかもしれません。

» オートメーション・バカ -先端技術がわたしたちにしていること-


▼今週の一冊:

4月10日発売の新刊。

読み始めたばかりですが、とりあえず紹介しておきます。もう、タイトルから心躍りますね。刑事物ということで期待しております。

» ビッグデータ・コネクト (文春文庫)


▼編集後記:
倉下忠憲



月刊くらした計画が無事一段落し、足早で進める代わりに飛ばしていた細かい補修作業を行っています。表紙に関してはちょこちょこリニューアルしていくかもしれません。あとは、価格変更ですね。次の電子書籍は5月ぐらいになるかと思います(予定は未定)。


▼倉下忠憲:
新しい時代に向けて「知的生産」を見つめ直す。R-style主宰。