※当サイトはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています。

短期集中連載 「有料メルマガを巡る冒険」 第三回 値段を決める難しさ

ipad_ahiruchan

倉下忠憲前回まではこちら。

» 短期集中連載 「有料メルマガを巡る冒険」 第一回 始まりの物語
» 短期集中連載 「有料メルマガを巡る冒険」 第二回 コンテンツを展開する「場」

これから書き手と読み手の関係性はどんどん変わっていくと思います。そうすると、次に上がってくるのがメルマガの「値段」についての問題です。

今回は、有料メルマガの有料メルマガたるゆえんである「値段」について書いてみます。

はじめに価格ありき……?

世の中には二種類の人間いる。
値段をつけたことがある人間と、そうでない人間だ。

という格言があるのかはしりませんが、何かに「値段」をつけることは日常的な行為ではないでしょう。

多くの場合はすでに値段が決まっており、それを基準に買い物したり、値上げや値切りといった値段を動かすことが行われます。ゼロベースで、何かに値段をつけることはレアケースではないでしょうか。人は慣れによって習熟していくことを考えれば、多くの人の「値段をつける」スキルはきっと未熟なものです。

しかし、有料メルマガを始めるには、最初にそのハードルを乗り越えなければいけません。

さらに悪環境として、メルマガには原材料から計算できる原価がありません。なので、原価の5%を利益として乗せる、という計算方法は不可能です。何か準備できる数字があるとすれば自分の人件費だけですが、「自分の人件費っていくらだろう?」は、結局何かに値段をつける行為から抜け出せていません。

情報に値段をつけることは、なかなかやっかいな問題なのです。

また、運営を始めた後につけた値段を変えることも(心理的な意味において)なかなかできません。それも問題の難しさをアップさせています。

ポジショニングをずらすための価格

私も、値段設定には頭をひねりました。

値段を決める際、一番手っ取り早い方法は相場に従うことです。有料メルマガであれば、840円が一つの「相場」と言えるでしょう。おそらく840円にしておけば、購読を決めようとしている人に「これは高すぎる」と思われる事態は避けられます。

しかし、私がメルマガを始めようとしていたタイミングはブームのまっただ中ではありませんでしたし、そもそも著名人のようなネームバリューもありません。はたしてそんなメルマガに840円も払ってくれる人はいるのだろうか? こうした疑問が頭にこびりつきます。

もちろん値段を圧倒的に安くすれば「誰も購読してくれない」事態は避けられるでしょう。しかし、あまりに安すぎると私が運営してくだけの収入を発生させられません。企業でも安売りしすぎて結局倒産、みたいな話がありますが、それでは本末転倒です。続けていける形を作らなければいけません。

結局、いろいろ考えた上で、330円に設定しました。

値段を決定した理由

330円は、相場の半額以下です。

手前味噌でなくても「安い」有料メルマガに分類できるでしょう。この値段にした理由は大きく3つあります。

  • メルマガのコンテンツが「有益」でないこと
  • メルマガのコンテンツが「ごった煮」であること
  • メルマガを若い人にも読んでもらいたいこと

それぞれみていきましょう。

メルマガのコンテンツが「有益」でないこと

メルマガのコンテンツとして、最新のアプリを紹介したり、お得な情報を提供することはやめよう、と思いました。そういう情報であれば、わかりやすい「有益さ」があるわけですが、きっとそんなメルマガは続けられません。私が興味を感じないからです。

結局、続けられるとしたら、私が興味あること(書くこと、読むこと、考えること)をコンテンツにせざるを得ません。でも、それははっきりと明示できる(あるいは何かしらの価値に即座に変換できる)「有益さ」ではありません。

きっと、著名人のメルマガは__購読したことがないのでわかりませんが__、「有益」な情報が詰まっているのでしょう。

そう考えると、そうしたメルマガと同じ土俵に立つのは危ない気がしました。そこで、一般的な有料メルマガよりもずいぶん安い値段をつけることで、市場におけるポジショニングをずらすことにしたのです。マーケティング的な発想ですね。

メルマガのコンテンツが「ごった煮」であること

メルマガのフォーマットは、一回の配信に5〜6個の連載を掲載する形を想定していました。そして、それぞれの連載は、方向性がまとまっていません。仕事術であったり、エッセイであったり、哲学書の紹介であったり、ライトノベルであったりと、さまざまです。

しかも、原稿量は1万字ほど。

私は、メルマガをスタートする前、「きっと、これを全部読むような人はあんまりいないだろう」と考えていました(大きな勘違いでしたが)。

毎週配信される連載のうち1〜2個だけしか読まなくても、読者さんが損したような気分にならないためにはどうすればいいかというと、値段を抑えておくことです。そうすればガッカリ感は減らせるでしょう。

このことを逆から見れば、価格を抑えておくことで、メルマガのコンテンツの何%かを「冒険」に回せるようになる、とも捉えられます。面白いかどうかわからないようなことにチャレンジできる余地があるわけです。

もちろん、全部読む人からすれば非常に「お買い得」な値段です。しかし、コンテンツの多様性と冒険できる余地を確保することを考えると、ある程度価格を抑えておくことが良い着地点な気がしたのです。

結局、開始してみると「安すぎます」という声を読者さんからいただけることになりました。私の「目測」が誤っていたのでしょう。物書きになる以前は、小売業で働いていたのですが、何か商品を売って「安すぎます」と声をいただいたことは一度もありません。何か不思議な体験です。

ともあれ、「読者さんに損した気分を感じてもらいたくない」という目標は達成できているようです。

メルマガのコンテンツを若い人にも読んでもらいたいこと

これはそのままです。

大学生〜社会人数年目を対象読者に加えると、高い値段設定はできません。一ヶ月に一冊、薄い文庫本を買うような価格感にしたかったのです。

が、これは基本的な要素において、戦略ミスがありました。

私が配信させていただいている「まぐまぐ」さんは、登録にクレジットカードが必要なのです。そして、大学生〜社会人数年目の方はクレジットカードを持っていない場合が多い。そもそも対象読者になり得ないのです。

といっても、別のプラットフォームから配信すればクリアできるので、これは大きな問題ではありません。

メルマガの価格とお布施の原理

有料メルマガにおける値段設定を考えてみると__そしてそこに若い対象読者を加えてみると__、「アカデミック版」がイメージされてきます。

ソフトウェアの販売でよく行われている、教育機関関係者あるいは学生が安く購入できるパッケージが「アカデミック版」です。メルマガにも、これを導入できないものか、と私はよく考えます。

つまり、有料版と無料版という分け方ではなく、有料版(840円)とアカデミック版(210円)という分け方です。アカウント情報をFacebookなどと紐付ければ、まったく不可能というわけではないでしょう。

こうした販売方法は、「一物一価の法則」に反していますが、特に不公平というものではないはずです。そもそも「一物一価の法則」自体が、「モノの経済学」であり「情報の経済学」ではないのです。

「情報の経済学」は、現代でも未だ模索されている最中ですが、梅棹忠夫さんが1962年に執筆された「情報産業論」に、そのとっかかりを見つけることができます。

詳細は割愛しますが、その論文では「お布施の原理」なるものが提唱されています。情報の価格は、坊さん(提供する側)の格と、檀家(受け取る側)の格で決まる__これがお布施の原理です。アカデミック版はまさにお布施の原理ですし、ネット上ではそれと近い試みがいくつも行われています。

このお布施の原理は、有料メルマガだけでなく電子書籍などにも影響を与えうるものではないでしょうか。今のところ、システム的な課題と、私たちの慣れの問題がありますが、どちらも時間と共に解決していけるものです。少し未来の話かもしれませんが、有料メルマガの価格についての捉え方も、徐々に変わっていくことでしょう。

成績表としての支払い

実際、メルマガの運営を始めてみると、購読者さんは増えたり減ったりすることがわかりました。

たとえばある月に5人増えたら、翌月の頭に3人減って、また4人新しく増えて、そこから2人減って……とグラフにすればジグザグな感じで購読者さんが変化してくのです。

登録した月は無料なので、そこで「様子見」した人が、継続か終了かの判断をされるので、こうしたグラフになるのでしょう。

情報の価格は、非常に決めづらいものですが、ここに面白い現象を見て取ることができます。

たとえば演劇では、情報を受け取る前に料金を支払います。書籍も__立ち読みは可能であるにせよ__情報を受け取る前に、お金を払います。

では、有料メルマガはどうでしょうか。

有料メルマガでは、一ヶ月程度の無料期間を設けているプラットフォームが珍しくありません。そこでは、一ヶ月分のメルマガを読んでから、お金を払うかどうかを決めます。これは、一種の「サンプル」ですが、完全にイコールというわけでもありません。

書籍の立ち読みや楽曲の視聴は、これから買う情報の一部を先に摂取するものです。しかし、「一ヶ月分だけ無料」のメルマガは、全体の一部分だけを読んでいるのとは違います。もしかしたら、来月のメルマガでは違ったコンテンツが展開されているかもしれません。

あくまで、来月以降のメルマガへの期待感で購読を続けるかどうか決めるわけです。

そう考えると、購読を続けてもらえるかどうかは、「成績表」のような雰囲気がしてきます。

  • 一ヶ月間がんばってメルマガを配信する。だったら来月も期待して購読しようと思う人が出てくる
  • 一ヶ月間やや手を抜いてメルマガを配信する。だったらもう購読は止めようと思う人が出てくる

最初に一ヶ月分の無料期間があると、「一ヶ月分の情報を売っている」のとは違った感覚が出てきます。先に一ヶ月分読んでもらって、その評価として料金を支払うかどうかを判断してもらう。次の月も、一ヶ月分読んだものへの評価として支払いの継続を判断してもらう。それが繰り返されていく……そんな感じです。

こうした形式では、価値のないものを売ってボロ儲けすることはできません。できたとしても一ヶ月分だけです。個人的には、その方がありがたいと感じます。

さいごに

私は、現状の「有料メルマガ」というシステムが、完全なものであるとは思っていません。料金の決め方を含め、情報化社会にあった(あるいは情報の経済学にマッチする)新しいシステムが出てくる余地はまだまだあるでしょう。

が、そうしたものが生まれ出てくるまでは、自分でメルマガの値段を決めなければいけません。これはセルフパブリッシングにおいても同様です。

本稿には、価格設定に役立つ情報はあまり含まれていませんが、商売の__有料メルマガだって立派な商売です__基本的な要素として

「読者さんに損した気分を味わわせない」

ことを意識しておけば、価格の合理性は後から付いてくるのではないかとも感じます。理屈というのはだいたいそういうものですので。

ずいぶん長くなりましたが、あと一回だけ有料メルマガについて続きます。

▼参考文献:

本文中で紹介しました。あまり好みませんが「必読」という言葉を使いたくなる一冊です。特に、現代以降の情報・メディアについて考えを進める場合なら、なおさら必読感は高まります。


▼編集後記:
倉下忠憲



今回は触れませんでしたが、収入が不安定なフリーランス物書きにおいて、「定期的な収入が発生する」というのは、非常に心強い要素です。購読者数がそれほど大きくないので、メルマガだけで生計を立てることはできていませんが、ある程度増えてくると、生活に安定感が生まれるだろうな、とはイメージしています。いつのことかはわかりませんが。


▼倉下忠憲:
新しい時代に向けて「知的生産」を見つめ直す。R-style主宰。