米国のテレビ司会者で資産家でもあるオプラ・ウィンフリーは、生まれた境遇から推測されるような不幸な人生を受け入れなかった。
1954年、ウィンフリーは10代の未婚カップルの子として生まれた。世間がいまほど寛容ではなかった時代のことだ。6歳までは祖母と貧しい田舎暮らし、その後7年間は母親と暮らしたが、生活は楽ではなかった。14歳で産んだ未熟児の息子を生後2週間で失った後、今度は父親と住むことでようやく普通の生活を手に入れた。
そんなウィンフリーも今では億万長者であり、世界で最も影響力を持つ人物の一人となっている。
2007年、彼女は4000万ドルの私財を投じて、南アフリカのヨハネスバーグに全寮制の学校を創設した。自らの不遇な少女時代がインスピレーションとなったこの学校は、学業優秀な少女達に“不幸な環境”から脱出するチャンスを提供している。(中略)
彼らが並はずれた偉人となり得たのは、不幸な環境の影響から抜け出すことができたからだ。それどころか彼らは、「とげのある植物を引き抜いて、そこに美しいバラを植えた」のである。(p.57)
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