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「与える」の価値は与えられてみて初めて分かる

By: Ben BowesCC BY 2.0


まず与えること。よく言われることであるし、そうすることの効用も理解できる。

でも、実際に「まず与える」を実践しようとすると、簡単にはいかないことがわかる。言うなれば「無料奉仕」であるから気が進まないのである。正当な対価を支払ってもらった上で、あるいは支払ってもらえる保証の下で、ならば喜んで奉仕するところをそれらがいっさいない中で、あたかもそれがあるかのように振る舞う。

やってみるとわかるが、実はこの「正当な対価」をいったん見えなくしてみると、今まで見えていなかった「まっとうな対価」というものが浮かび上がってくる。ちょっとびっくりするのだが、もしこれが浮かび上がってこないのであれば、その奉仕はあなたには向いていないので、やめたほうがいい。

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半年に一度、視察に訪れる会長は糖尿病で足を切断し義足だった。それなのに誰よりも早く起きて農園へ行き、労働者に声をかけ、コーヒーの木の生長具合を気にし、施設の隅々まで目を配っていた。会長の農園にかける思いは誰よりも強かった。

「ミスター・ホセ、あなたのビッグボスが、もうフィールドを歩いているけど、あなたは来なくていいのか」

農園長からの連絡を受け、農園へ飛んで行ったことも数知れない。会長の指摘は厳しかった。少しでもうまく整地できていない場所や、ごみが溜まっている場所を見つけようものなら、大声で怒鳴られた。

「一体全体、お前は何をやっとんねん! お前の脳みそは小鳥より小さいんか! お前なんか死んでまえ」

自然が相手の農園開発、労働者の管理も一筋縄ではいかない。思うようになるなら、誰も苦労はしない。理不尽な要求を突きつけられたこともしばしばあった。

「そんなことは無理ですよ。私だってやるだけのことはやっているんです。それでも、農園では思うようにいかないことがあるんです」
「お前やったらできる」

そのたびに、会長に励まされた。

「お前やったらできる。だから、思いっきり暴れ回れ。責任は全部わしが取る」

尊敬する人から、そこまで言われて発奮しない人間がいるだろうか。会長は、何もかもお見通しだった。何が起こっても、厳しい会長の喜んだ顔が見たくて踏ん張ることができた。やり遂げた時の達成感と、それを分かってくれる人がいることが、日々の仕事の励みになった。(p.109)


» 私はコーヒーで世界を変えることにした。