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不自由な自由と自由な不自由

人間の実体はほとんどが水。放っておくと形がなくなる。入れ物に収まっている間は良いけれど、ひとたび入れ物を失うと止めどない。水であるがゆえに易きに低きに流れやすい。

会社に所属せず一人で仕事をしていると「一人で仕事をすることは想像以上に独りなのだった」と改めて痛感する。職場であれば、例えば仕事に関係のないメールを読んだり書いたりすることがあっても、どこか後ろめたさを禁じ得ない。それが自宅で仕事をしているとなると「飲み会のお誘い」なんてメールが来た日には即座にレスを書き始めてしまう。

独りで仕事をするということは職場の束縛からの解放であると同時に、職場で享受してきた社会性の剥奪を受け入れることに他ならない。

職場という入れ物を失った水は、グリッドのないのっぺりとした空間に漂いながらミズからの原点を模索し続ける。

あえてルールで自分を縛る | じゃーなる
世界中のスポーツを見ると、ルールでわざと不自由さを作っていて、<不自由さが生む面白さ>を人間は楽しむ余裕を持っているように思います …


窮屈な自由から自由な縛りへ | じゃーなる
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