誰しも人に束縛されるのは嫌がるが、自分の意思で自らを束縛することには抵抗が少ない。
人に束縛されながら人の役に立とうとすることを「受働」といい、自分の意思で自らを束縛しながら人の役に立とうとすることを「能働」という(もちろん、造語)。
何事もさじ加減だと思う。どこまで緩めて、どこで絞るか。限られた時間を何にどのくらい注ぎ込むか。余った時間はどうするか。収入のうち食費は、娯楽は、自己投資は、家賃は、医療費は、交際費は、教育費は、貯金は、残りは。
時間でもお金でも気持ちでも、何にどれだけ注ぎ込むのか、それを自分で選ぶ過程に喜びや悲しみがある。途中にあるのであってゴールにはない。注ぎ込んだ先には何もない。あってもそれは人為的に作られた記号に過ぎない。意味がある、価値がある、名誉がある、といった外からの「お墨付き」によって記号化され、時の風化に朽ちていく。
最近流行の「ノマド」というワークスタイルは「能働」の一つといえる。自らを「やりたいこと」という枠に追い込んで、その中で誰の束縛も受けることなく「やりたいこと」に打ち込む。外に原則を求めるのではなく、内に基準を持つ。それが正しければ客に支持されるし、正しくなければそのまま生活を直撃する。
「能働」とは、生き残るためのさじ加減。