金融業には「札勘」という作業があった。お札を何十枚か片手に持って、ぱっと扇形に開いて端からさらさらっと親指で押さえて数えていく。それは、美しい技であった。お金を扱う人は、その札勘をしながら、お札の重み、お金を扱うことの大切さ、お金の価値といったものを学んでいた。札勘は、金融マンの基本技だった。
『仕事術』より
どんな業界・業種・職種にもこうした基本技はある。最初は基本技を覚えることから始まったはずだが、いつしか応用技ばかりの毎日になって、こうした基本技のことは忘れてしまう。
もちろん、応用技のベースには基本技が息づいているので、厳密には忘れてはいないのだが、改めてそれだけを思いだそうとすると難しい。
これは自転車に似ている。一度乗れるようになってしまえば、乗れなかった時の感覚がわからなくなる。
感覚が摩耗したとしても、基本技を身につけようとしたときに払っていた注意や努力は再現できる。そこには「乗れるようになりたい」という確かな欲求があり、「乗れなければ同級生たちから置いてけぼりになる」という切実さがある。
欲求か切実さか、あるいは両方か。新しいことを始めるときに欠かせないものである。これを意図的に作り出せれば、おのずと行動がついてくる。
意図的に作り出すときに必要になるのが基本技である。
今やっている仕事における基本技とは何だろうか? それを意識的に、あるいは無意識的にでも身につけようと必死になっていた時の気持ちはどんなだっただろうか?
この気持ちを思い出せれば、その延長線上にある「今」は好い影響を受けざるを得ない。