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グラッドウェルのコラムから受ける刺激の例

倉下忠憲
マルコム・グラッドウェルのコラム傑作集第三弾。『第一感』や『天才!』のタマゴのようなコラムがおさめられています。知的な刺激に満ちあふれている本を読むと、触発されて自分でもアイデアが次々に浮かんでくる事がありますが、本書もそんな一冊です。

 
今回は本書の面白い点を紹介するのではなく、私が印象に残った部分とそこから考えたこと、つまり刺激を受けて出てきたアイデアについて紹介することにします。

「いつも何かに気をつけて、知っている」

第15章では優れた教師の能力として、「ウィズイットネス」が紹介されています。これは「いつも何かに気をつけて、知っている」というニュアンスの言葉です。

ウィズイットネスの能力とは、「生徒がそのとき何をしているのか」を知っていることを、あるいはいわゆる自分の頭の後ろに目がついていることを、教師自身の態度によって(「先生にはちゃんとわかっていますからね」と言葉で告げるのではなく態度で)クラス全体に伝える能力───である。

こういった能力を持ち合わせていれば、教育において最も重要なフィードバックを与えることができるでしょう。「優れた上司」にも共通する能力かもしれません。

考えてみたいのは、この「ウィズイットネス」が知的生産と関係しないだろうか、という点です。

前回のエントリーで紹介しましたが、発想のタネになるのは疑問です。であれば、この「いつも何かに気をつけて、知っている」という能力は知的生産に関しても適用できる能力でしょう。自分自身の引っかかるところ、他の人の疑問、不便なもの、・・・こういったものにしっかりと気が付き、それを流しておかないという能力が発想力の元になるはずです。

見回してみると、この「ウィズイットネス」の能力はさまざまな職業的場面において重要な能力といえるでしょう。単に「何について気をつけているか」という対象が違う、という差があるだけではないでしょうか。

二つの知性の捉え方

第17章では、人間の知性についての二種類の考え方が紹介されています。

  • 「知性は固定した特性だ」
  • 「知性は鍛えられ、徐々に伸ばすことが可能だ」

この二つの考え方によって、行動や態度に差がでてくるというのがポイントです。本書では香港大学での調査の事例が紹介されています。あらかじめ学生らに知性についてのアンケートをとっておき、英語の実力テストを受けてもらう。テストの結果を知らせた後に「補習コース」受けるかどうか選択してもらう、という調査です。

成績のふるわなかった者はきっと補習コースを受けたがった、と思うだろう。(中略)だが不思議なことに、補習コースに応募したのは、あらかじめ「知性は鍛えられる」とアンケートに答えた学生だけだった。「知性を固定した特性」と考えた学生は、自分が出来の悪い学生と見なされるのを嫌がり、コースを受けようとはしなかったのだ。

学生が「出来の悪い学生」と見なされるのを嫌がったせいなのか、それとも「勉強してもそもそも自分の頭が悪いから意味がない」と考えたのか、その理由までは推察するしかありません。

が、理由がなんであるにせよ、「知性」についてどう考えているかで態度や行動が変わってくるというのは大きなポイントです。当然補習コースを受けた学生の方は成績は徐々にではあっても向上するでしょうし、補習を受けない学生は学力は変わらないままでしょう。

これは第18章で紹介されている「自己充足的な予言」と同じ性質のものです。「知性」だけに留まらず「発想力」や「創造性」についても同じような事が言えると思います。現実的にそれがのばせるのかどうかは証明できなくても、「固定した特性だ」と考えている間は、それらをのばせるチャンスが目の前にあったとしても無視してしまう、という事がありえそうです。

直感の縛りに対抗する

第18章では「直感」の力強さが紹介されています。人の評価を決めるのは「第一印象だ」という事です。

最初のわずか数秒で拾いあげる情報は、相手の特徴のかなり基本的なところを捉えるようだ。

人間はそういった合理性以前の特殊な能力を持ち合わせている、という事です。しかし、この直感の力があまりにも強すぎて、第一印象を覆すような情報が遮断されてしまう、あるいは自分の好ましいように解釈を変えてしまう可能性が裏には秘められています。これが「自己充足的な予言」です。

これらに対抗するために「カタログ化して理解する」という手法が紹介されています。人間というのは状況によって行動・態度を変えてしまうものなので、そういったさまざまな態度のバリエーションを集めてみることによって、直感からの印象ではなく総合的な人の像を浮かび上がらせるという手法です。

ここで考えてみたいのは、自分は「自分のカタログを持っているか」という事です。もしかしたら、直感だけで構成されたステレオタイプな自分像しか持っていない、ということはないでしょうか。そしてその自分像に基づいた「自己充足的な予言」の中で人生を送っている、というのもありえない話ではないでしょう。

 

まとめ

今回は3つ私が印象に残った点を紹介しました。これらを眺めていくと、ある種の方向性が見えてきます。極端な形でまとめれば

「人生についての能力は、自分に対してのウィズイットネスを持つことだ」

という事です。

「自分はどんな人間か」を1回きりの行動から直感的に判断してしまえば、それが自己充足的に働き、あたかもその様な人間であるかのように振る舞ってしまいます。しかし、時間をかけて観察していけば人間にはさまざまな面が見つかります。それをカタログ化することで、直感が生み出した予言から逃れることができるようになります。

例えば、日記を付けたり、日常の出来事やその時の自分の行動や感情を手帳に書き綴っていく行為は「自分カタログ」作りといえるでしょう。あるいはブログを書き続けていくのも同じような意味合いがあるかもしれません。そのようなカタログを持つことで、「思いこみによる自分像」の縛りから抜け出られるようになるでしょう…

と、グラッドウェルのコラムを読んでいると次から次へと考えることが増えていきます。読む方によって受ける印象は違うでしょうが、さまざまな「刺激」が眠っていることは確かです。HowTo本に飽きてきたら、気分転換に読んでみるのもいいかもしれません。

▼関連エントリー:

思考力を鍛えるための方法 

▼合わせて読みたい:

「自分カタログ作り」は自分の行動・態度や考え方を記録していく事が必要です。しかも短い期間ではなくて、継続的に記録していかなければなりません。日記というのもやり方としてはありですし、「ユビキタス・キャプチャー」という手法も使えると思います。日々の記録を残していって、それを後から振り返る、というのはやってみるとなかなか面白いものです。身近なツールを使ってやってみてはいかがでしょうか。ユビキタス・キャプチャーについては以下の本が参考になると思います。

モレスキン 「伝説のノート」活用術~記録・発想・個性を刺激する75の使い方
堀 正岳 中牟田 洋子
ダイヤモンド社
売り上げランキング: 108
おすすめ度の平均: 3.0

4 モレスキンだけに縛られない手帳術の本
1 モレスキンを本にするのだから
2 残念
1 アマゾンには☆ゼロという評価がない。
5 モレスキンを使えきれてない人にお勧めです

 

▼編集後記:
倉下忠憲
最近雑誌の取材や、本の企画や、イベント・セミナーへのお誘いの声が増えてきて、ようやく「自分が本の著者になったんだ」ということをジワジワと実感しつつあります。

有料メルマガの準備などもあって結構あたふたしているのですが、まあ何もない事に比べれば恵まれていると思います。次作もぼちぼちと準備中です。

 
▼倉下忠憲:
新しい時代に向けて「知的生産」を見つめ直す。R-style主宰。