「アイデア」を管理することは、多義的な行為です。その多義性を視野に収めていないと、情報整理でこてんぱんにされます。
気をつけておきたいのは、その多義性は「一口にアイデアといってもいろいろある」を含みつつ、「同じアイデアであっても、扱い方に違いがある」をも含んでいる点です。
つまりは、ややこしいのです。
ネタ帳
何かを思いついたとして、その思いつき方が、「この話は来週の〈メルマガ〉に書こう」というものであれば、それは「ネタ」として扱うことが可能です。〈メルマガ〉の部分には何を当てはめても構いません。すでに行き先が決まっている思いつきのすべてが「ネタ」と言えます。
そうしたネタは、ネタ帳で管理するのがフィットするでしょう。つまり「メルマガのネタ帳」といった項目やノートブックを作り、そこに放り込んでおくわけです。
メルマガを書く段になって「そういえば、何か書こうとしてたことがあったはずだけども」とそのネタ帳を振り返ることができれば、情報の伝達は見事に達成されます。
一般的にイメージされる、「ノートを使ったアイデア管理」は、おおむねこのネタ帳方式でしょう。わかりやすく、実装も迷いが少ない方式です。
走り書きメモ
一方で、極めてややこしいのが着想を暫定的に書き留めたメモです。ここではとりあえず「走り書きメモ」と呼ぶことにしましょう。
たとえば、画像のアウトラインにある「いかにして一つ上の階層に至るか。」はまさに走り書きメモの典型例です。皆さんも、デジタルノートにはこうした走り書きメモがたくさん並んでいるのではないでしょうか。
こうしたメモは、ネタ帳のように「この場所で使う」という規定がありません。だから、移動させる場所がなく、保存された場所に長らく留まる傾向を持ちます。また、主要な目的を持って保存されているわけではないので、「保存しておいて後から検索して見つけて使う」のような用途経路もありません。よって、そのままズルズルと放置されがちです。
デジタルノートを使っていて、どこかしら嫌気が差してくるのも、実はこうした走り書きメモが放置&蓄積していくせいかもしれません。なぜでしょうか。それは、こうした走り書きメモが「タスク性」を帯びるからです。
先ほどの「いかにして一つ上の階層に至るか。」という走り書きメモは、もう少し丁寧に書き直せば「自分は「いかにして一つ上の階層に至るか。」という着想を得た。これは面白そうなので後でもう少し考えたい」となるからです。「〜〜したいこと」を書き留め、自分の未来に引き継ごうとするその行為は、まさにタスク管理の手つきとまったく相似です。
言い換えましょう。私たちは、走り書きを書き残すたびに、自分に向けたタスクを増やすことになります。もう少し言えば、タスク性を帯びた情報をappendすることになります。
一つひとつのタスクがどれだけ楽しいものであっても、それが山のように積み重なるとゲンナリしてくるものです。録画して溜まっているアニメや、積んでいるだけのガガンプラをイメージしてください。それらを眺めたときに私たちが感じてしまう気持ちが「タスク性」であり、それが走り書きメモにも宿るのです。
しかも、デジタルノートであれば、そうしたメモを本当にいくらでも保存していけます。アナログのノート帳のようなページ幅の限界、ページ数の限界はなく、際限ない拡張が可能です。ノートを新調することで、過去にあったものが視界から消え去るといったことはなく、すべてがそのまま保存され続けるのです。ちょっとしたホラー映画とためをはれるくらいの恐怖がそこにはあります。
ノートにおけるアイデア管理、特にデジタルノートにおけるアイデア管理を破綻させないためには、こうした「走り書きメモ」との付き合い方を十分に考慮しなければなりません。
豆論文
上記のようなざっと着想を書き留めたものではなく、もう少ししっかり文章化されたメモもありえます。
たとえば先ほどの走り書きメモを、文章化してみましょう。
最後まで文章化してみたところで、項目のタイトルがちょっと違うなと思ったので少し修正しておきます。
とりあえずこれでOKです。こうして文章化したメモを、梅棹忠夫さんの『知的生産の技術』から名前を拝借して「豆論文」と呼ぶことにします。
この豆論文も、走り書きメモと同じでどこか具体的な行き先(宛て先)を持っていません。そのままでは、うまく処理することは難しいものです。言い換えれば、適切に配置された構造下に配置することは簡単ではありません。
しかし、この豆論文には先ほどのようなタスク性はありません。なぜなら、先ほど実際に行った文章化は、「これは面白そうなので後でもう少し考えたい」という行為そのものだからです。あるいはそのタスクを先ほど実行したと言ってしまってもよいでしょう。
だからこの豆論文がいくら増えても、タスク圧のようなものは発生しません。扱い方については別途検討が必要ですが、増え過ぎて嫌になるといったことは回避できます。
さいごに
以上、三つのタイプの「アイデア」メモの扱いを検討してみました。眺めてみると、第一と第三のメモであれば、扱いは難しくありません。話をややこしくしているのは第二のメモです。
よって、理想主義的に語れば「走り書きメモはやめて、すべての着想は豆論文にしましょう」というアドバイスが出てくるのですが、それができたら苦労はしません。むしろ、そんな時間がないからこそ、私たちは豆論文を書く代わりに、走り書きメモで済ませてしまうのです。
だからもう少しだけ実際的な指針が必要です。それはまた次回検討してみましょう。
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本編全七章構成の書籍原稿の第七章分までのプロトタイプ稿が仕上がりました。まだまだここからやることはたくさなりますが、それでも一つの輪郭線は描けたと思います。一安心ですね。
▼倉下忠憲:
新しい時代に向けて「知的生産」を見つめ直す。R-style主宰。メルマガ毎週月曜配信中。