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生涯であと何本の映画を観られるか?



大橋悦夫一度観ればいいというものではなく、気に入った作品に出会ってしまえば、2回、3回と繰り返し観たくなるので観られる本数はさらに減っていく。

繰り返し観ることで「これが伏線だったのか」と気づけたり、別の登場人物の視点で物語を捉え直せたりするので、最初に観たときの印象はどんどん上書きされる。

この「印象が上書きされる」という体験が映画を繰り返し観る醍醐味。

特に、数年たって、ある程度記憶があいまいになってから改めて観るのが良い。

最近で言うと、2003年に初めて観た『猟奇的な彼女』(2001年公開)を18年ぶりに観たら、当時は絶対に気づかなかったであろうフレーズが目に留まった。

「彼女」はシナリオライター志望で、たびたび「シノプシス書いたから読んで」と彼に読ませるのだが、その中に「時は2137年、ヒロインは女版ターミネーター」とあった。

これは監督のクァク・ジェヨンが後に撮ることになる『僕の彼女はサイボーグ』(2008年公開)を彷彿とさせる。

その後の『更年奇的な彼女』(2014年公開)と合わせた「アジアの彼女三部作」には「強い女の子と冴えない男子」という共通の構図があり、これが彼の作品理解を助けてくれる。

こうして数年後に過去に観た作品の伏線を回収することを楽しみとするなら、持つべき問いとしては「生涯であと何本の映画の伏線を回収できるか?」になるかもしれない。

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