星新一さんのショート・ショートに「万能価値検査機」という小作品があります。
ブログ記事であらすじが紹介されているので、引用してみましょう。
『価値検査機』(星新一著、新潮社刊『未来いそっぷ』収録): ミステリ通信 創刊号
ある博士が死亡した。
博士は死の間際、長らく研究に貢献して来た助手のエヌに研究成果を譲ることにした。
その発明の名は「万能価値検査機」。どんな物でも価値を計ることが出来るのだ。
針が右に振れれば有用、逆に左に振れれば無用の物である。エヌはこの検査機を早速実践した。
物の本質を見抜く検査機の効果は抜群であった。
商品に使えば、価値のあるものだけを選ぶことが出来る。
美術品に使えば、たちまち目利きに。
人に使えば、有能かつ信頼出来る人材を見抜くことが出来る。
ものすごく便利ですね!
でもこんな大発明を待たなくても、実は私たちはみんな、「万能価値検査機」を持っているようです。
計測器を持っていなくても計れる?
たとえばあるビジネス・パーソンは、自身の「価値検査機」によって次のような結論を出しています。
- お金には価値がある! だから節約にも価値がある!
- 時間には価値がある! だから時間も節約すべき!
- 体力にも価値がある! 無駄なことに体力を使わず温存したい!
もちろん「価値検査機」で金銭に当てることができるわけではありません。
しかし、
- これには価値がある!
- あれは価値ゼロだ!
と確信できるなら、計測器を持っていなくても同じことになるでしょう。
ある日このビジネスパーソンは、上司からとつぜん意味不明な仕事をふられてしまいました。
- こんな仕事は価値ゼロだ!
と瞬時に判断はしたのですが、上司命令であるため逆らうことはできず、けっきょく1時間よけいに残業することになりました。
- こんな時間の使い方は価値ゼロだ! 最悪だ!
価値ある時間の「価値」とは何か?
あまりにもストレスがたまって気分が悪くなったので、帰りがけ、月極で契約しているフィットネスジムで汗を流すことにしました。
2時間後、シャワーも浴びて気分爽快です!
- フィットネスジムで2時間汗を流す! 価値マックス!
彼は自分の「価値検査感」でこのように確信し、家路につきました。
おかしなところはいっさいないように見えますが、よく考えてみると不思議な話です。
このビジネスパーソンは、上司に振られた仕事に1時間を費やすことには価値をいっさい認めないのに、なぜフィットネスジムに2時間を費やすことには、そんなに多大な価値を実感できるのでしょうか?
彼によれば「時間には価値があり」「お金には価値があり」「体力には価値がある」はずです。
時間についていえば、仕事は1時間で済んでいるのに対して、ジムには2時間がかかっています。時間が節約できていません。
お金についていえば、仕事では給料(残業代)がもらえているのに対して、ジムには支払っています。仕事では生産し、ジムで消費しているのです。
体力については、仕事にも少しは使うでしょうが、ジムで汗を流すほどでは決してないはずです。もちろんジムの筋トレは将来の健康への投資と考えることもできますが、一日だけではその効果も微々たるものでしょう。
なぜ、
- 価値ある時間をよけいに使い、価値あるお金を支払って、価値ある体力を費やした「ジム」は、
- それほど時間を使わず、体力も使わず、価値ある「お金」を獲得した「仕事」よりも価値が高い、
ということになるのでしょうか?
まさにパラドックスです。
こうした矛盾を引き起こす原因は明らかです。
「自分には価値を判断できる能力がある」とみなしたから、おかしな話になったのです。
お金に価値があるのかないのか、時間に価値があるのかないのか、体力に価値があるのかないのか、自分で判断できないと思えば、
- どうして自分の「貴重な時間」を「こんな仕事」に割かなければならないんだ!
と考えること自体ができなくなります。
同時に、「こんな意味不明な仕事をさせられるなんてひどい理不尽だ!」などとストレスをため込むこともしなくてすむのです。
同じ仕事を喜々としてやれるかどうかまではともかくとして、
- 価値のわからない仕事のために価値のわからない時間を使った
- その結果、価値が判然としないがお金を手に入れ、体力はあまり使わなかった
からといって、つらいと思う必要はほとんどないはずです。もちろんその「価値」はともかくとして、ジムに行きたかったら行くのがよいでしょう。
万能「価値」検査感覚を信頼して生きることは、おうおうにして自分を苦しめることになります。
それを自分に備え付けてしまったら、その「針」の示すところについて、いちいち疑うようにすれば、心を軽くすることができます。