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1996年に新卒で入社したSIer企業1年目のワークスタイル



大橋悦夫大学卒業後最初の4年間は大阪のSIer・システム開発系企業で仕事をしていた大橋です。

以下の動画で紹介されていた、IT業界の3分類が分かりやすかったです。


動画の内容をざっくりまとめると以下の通り。

  • IT業界は、アプリ開発系企業、Web制作系企業、SIer・システム開発系企業の3つに分類できる
  • それぞれの企業は仕事内容がまったく異なる
  • オススメするのはアプリ開発系企業
  • オススメしないのはSIer・システム開発系企業

3つそれぞれについて、より詳しい説明もありました。

冒頭にも書いたとおり、僕の最初のキャリアはSIer・システム開発系企業でしたので、これについての説明には「そうそう、まさにそんな感じだったな~」と思い出しながら見ていました。

具体的には、以下の通り。

  • クライアントワーク、特にシステム開発で稼いでいる企業
  • スキルアップという面で、新しい技術が学べる環境はアプリ開発系企業よりも整っていない印象
  • 前提として、納期通り・設計書通りに開発できることが求められる
  • 納期を守るために慣れているスキルで開発することが増える
  • 結果、新しいスキルに手を出しにくいことになる
  • 待遇の面で、多重下請け構造があるため、上流の企業は良いが、下流はブラックが多い
  • エンジニアを客先に常駐させることがある

思い出しついでに、当時のワークスタイルについて書いてみます。

恥ずかしながら、当時の自分はこの動画で解説されているような業界構造がわかっておらず、とにかく毎日を生きる&自分を活かす身の振り方を模索するのに必死でした。

まぁ、20年以上も前の話なので、今は改善されているところもあると思いつつ、今回の動画では「いや、あんまり変わってないのかも?」とも感じています。

仕事は最初からブラックだった

入った会社は特殊で、新人研修からして独特でした。これについては以下の記事で書いています。

いっさいの解釈を排したインプット方式の効用

講義は、数百名ほどの中小企業の社長のスケジュールの合間を縫うようにして一日に2~4回ほど行われ、10分で終わることもあれば3時間続くことも。

話が終わると、社長は研修室を出て行く。

我々研修生は即座にノートを開き、社長の話の書き起こしを始める。

通常、書き起こしといえばテープなどの記録メディアに録音しておいた音声を聴きながら一字一句書き起こしていく作業を指す。

研修は入社日の1996年4月1日に始まって8月9日(金曜日)に終了、実務は8月12日(月)から始まりました。

最初の仕事は某金融系大規模システムの案件(プロジェクト)。言語はCOBOL(コボルと読む)。仕事はすべてプロジェクトベースで、1つの部署に所属しつつ、1つ以上のプロジェクトに関わります。

そしてまさに絵に描いたような多重下請け構造における下流に位置し、自分が書いているプログラムがいったいどこでどのように使われるのかがいっさいわからない。毛細血管の気持ちが少しわかる気がしました(いや、毛細血管がないと人体は困るので大事ではあるのですが…)。

始業は9時ですが8時半にはオフィスに到着し、早々に仕事を開始(そのようにしている人がほとんど)。

退社は早くても21時、遅いと23時過ぎ。しかも、放り込まれた最初のプロジェクトはすでに軽く炎上しており、土曜出社はマストな状況でした(土曜はデフォルトで出社要請)。

つまり、最初の仕事からすでに薄めのブラックの様相を呈していたわけです(当時はまだ「ブラック企業」という言葉はありませんでしたが…)。

当時のジャーナル(日記)には以下のような記述がありました。

1996/08/16(金) 会社に遅くまでいても夕食を簡素化すれば済むことだから構わないと思う。早く帰れたら夕食に時間をかけるだけだ。ということは仕事が楽しいということだ。

配属後最初の週からすでに病んでいる感じがします。“全般設定”で人体の一部の感覚をオフにするイメージ。

1996/08/24(土) 一瞬で昼になる。昼食後はいつの間にか夜になる。

当時は時間の経過が早かったようです。

仕事はほとんどアナログだった

いちおう「IT業界」ですが、仕事ではパソコンはいっさい使わず、紙に印刷された仕様書をもとに紙に手書きでソースコードの下書きをざっと書き(これを「机上コーディング」と呼ぶ)、書き上がったら端末室に移動。

手書きのソースコードを見ながら入力作業を行います。モニタは黒地に緑色の文字。映画「MATRIX」のイメージ。

▼イメージです。


そんな状況ですので、仕事の管理はすべてアナログ。

以下、ジャーナルより。

1996/08/25(日) 今日は秘書いらずに貼ったTodo付箋を使って効率よく行動履歴を残す方法を思いついた。すなわち、処理済み付箋を捨ててしまわずに、日次報告書のフォーマットに貼っていくのである。その結果、やったことにどれだけ時間がかかったかがわかる。

「秘書いらず」とは、野口悠紀雄氏が『続「超」整理法・時間編 タイム・マネジメントの新技法』の中で紹介していた、付箋を貼っておくための台紙のことです。当時の僕はA4サイズの厚紙に付箋を貼って、やるべきことを管理していました。

以下、同著より。

スケジュール表とは別に「TODOボード」を作成するとよい。これは、原稿の執筆、資料の作成、手紙の返信、部屋の整理といったさまざまな案件を、一件ごとに小型のポストイットに書き出し、紙のボードに貼りつけたものである(ここに書き出される案件の大部分は、スケジュール表に書いてあるものと重複している)。

この際、仕事のカテゴリー別に縦に分け、各カテゴリーのうち重要度の高いものほど上に貼る。処理済の案件は剥がして捨てる。

このボードを見ると、未処理案件が一覧できるので、なすべき仕事の全体像が把握できる。カテゴリー別の重要度が分かるので、「面」で見える。「点」であった仕事が、一覧スケジュール表によって「線」となり、TODOボードによって「面」として把握されたことになる。

(中略)

ポストイットを使うのは、編集のためである。紙に書くと、処理済案件も残ってしまって、見にくくなる。ポストイットなら、貼ったり、はがしたり、移動したりが自由にできる。また、色分けができるのも便利だ。

このようなボードは、パソコンでも作れるが、紙のほうがはるかに便利だ。パソコンは入力が面倒なので、必要な仕事をつい入力し忘れる。また、どこでも持ち歩き、即座に開いて見るためにも、紙のほうがよい。携帯のためには、このボードが手帳の一部に入っていると便利である。

当時はザウルス PI-5000(シャープ製のPDA)を持ってはいましたが、 まだまだ手帳の方が便利でしたw

時間にシビアになれた

炎上プロジェクトに配属されたことで、そしてそれが最初のプロジェクトだったことで、仕事とはそういうものだという刷り込みが行われたようです。

このことは僕にとっては良いことだったと今は考えています。結果として、時間に対する感覚が磨かれたからです。

以下、ジャーナルより。

1996/09/02(月) どうも見積もりが甘い。とても粗い。研修中も同じように思っていたけど実務についても一緒。ちゃんときっちり作業項目をブレイクダウンしてそれを積み上げていかないと、いつまでもずるずるやってしまう。

全体でドカンと何時間かかった、というのではなく、ちゃんと何をしてどのくらい時間がかかったかということを記録しなければならない。今日の6時間30分という工数の内容(中身)もちゃんと記録しておけばよかった。

1996/09/05(木) 部屋でも会社でも、5分刻みに自分の行動履歴を取っていけば、見積もり精度が向上し、生産性向上につながると感じている。今はどう考えてもどんぶり勘定で、あかん。

このあたりから、時間の記録が生活にも入り込み始めます。

1996/09/06(金) 今日は分刻みに作業項目を付箋に書きとめていった。作業毎に、かかった時間とその作業が意味あるものだったかということを○△記号で付記した。一日が終わり、無駄な作業(△項目)や改善されるべきあるいは時短がはかれる作業が洗い出せる。

当時は付箋が大活躍でした。

…と、書いているうちにとても長くなってしまったので、いったんこのあたりで。

まとめとしては、1996年当時はスキルアップとか新しい技術といったことが今ほど必要とはされておらず、従って牧歌的な時代であり、ブラックながらも楽しく仕事に取り組めていたようです。

ちなみに、4年後の2000年3月31日でこの会社を退職することになります。

当時は辞めることで頭がいっぱいで、転職活動など次の展開のための準備はまったくできないままでした。

退職した翌月、つまり、2000年4月は一ヶ月間まるまる活動を停止していた(体よく言えば次の展開のための準備をしていた)のですが、もし当時の自分が同じIT業界での転職を志向していたなら、マイナビ IT AGENTのような専門の転職支援サービスを利用していたと思います。

自分のことは自分が一番わかっているはずですが、そんな自分の適性を存分に発揮できる場所を見つけるのは自分一人では難しいからです。

とはいえ、なにぶん20年以上も昔のことなので、利用したくても当時はそういうサービスがなかったのですが…。

#1460日間の記録

参考文献:

学生時代に『「超」整理法』に出会って以来、20世紀中はひたすら野口悠紀雄さんを追いかけていました。手帳はもちろん「超」整理手帳を愛用。