堀井憲一郎さんは『いますぐ書け、の文章法』(ちくま新書)の中で、
時間的に追いつめられている自分を、精神的に否定的に追いつめないことが大事
と書いているのですが、これを「書くこと」だけでなく、「あらゆること」に適用するのがタスクシュートです。
「時間はない、けど、ちゃんと間に合うはず」と書いたことがありますが、時間的にはギリギリで厳しい、しかし間に合うということを楽観していていい、という精神状態に、常に自分を置くわけです。
タスクシュートがなかったころ、私はこの種の心理状態に入れることがほとんどありませんでした。もしかすると、まったくなかった気もします。
- 時間的にも精神的に追い詰められていて、焦燥感でなにも手につかない
もしくは、
- 時間的に余裕があるからなにもしない
のどっちかの時間ばかりだったのです。
これではつまり、
- なにも手につかない
か
- なにもしない
のいずれかになってしまいます。だからまったく仕事が進まなかったわけですが、さもありなんと言うべきでしょう。
- 時間的に追い詰められているが、精神的には余裕がある
この状態がもっとも仕事が進むわけです。
今は四六時中こうなので、たしかにじつに仕事が進みます。
メールチェック5分間を、完全に集中してメールチェックだけをしていますか?
私たちは毎日毎日、大変に忙しいのです。妻は専業主婦ですが、その妻にして、「自分の時間」はほとんどまったくありません。
子供は一人で、しかもあまり手のかからない子供だとは思いますが、その子供のことですら、面倒見ることなど際限ないと言っていいほどにある。
私の仕事は、その妻のサポートを含み、仕事です。だから時間的には完全に追い詰められている。なにをどう見ても、タスクシュートの全リストは、無駄なく配置されてしまっていて、そして余裕の時間はありません。
0です。
しかしこれらはたしかに終わる。あとはだから、とにかく好き好んでこれらをするしかないのです。集中して好き好んでこれらをする。好きでも好みでもないなら、やらないことなのです。
仕事は好きなことばかりではない。
といいますが、でも最近は、どうだろうと思うことも多くあります。
たしかにもの書きしていると絶対に発生する支払調書の整理が大好きかと言われると、昔から好きだったわけではありません。
でも、だったらたとえば好きな人とのデートは好きなことばかりでしょうか?
話が少しずれていると思われるでしょうが、私たちはなぜ、すでに与えられている仕事と、生理上絶対にしないわけにはいかないこと(呼吸、睡眠、食事、排泄、とおそらくは入浴)にもっと「かまけれらない」のか。
なぜ「これ以外の時間が持てれば幸せになれそう」などと思ってしまうのでしょうか?
時間的に追い詰められていても、今あるリストに、たとえ時間的余裕がなくても没頭できるなら、仕事はその分は進みます。そしてそれでけっこう幸せなものです。
本当に、たとえば「メールチェック」とあるときに集中していて、まったく脱線もうわの空もないけれど時間が足りないというのであれば、環境を変えたほうがいいかもしれませんが、それが本当かどうかは自問したほうがいいとおもいます。
メールチェック5分間を、完全に集中してメールチェックだけをしていますか?
その代わりに「自分はこんな仕事しかできない、こんな仕事すらできないダメな人だ」などと、精神的に否定的に追い詰めたりすることが、まったくありませんか?
つまらないことをしたり、激しく使ったりするほど、脳は早くに疲労します。それは早くて4分、遅くても1~2時間のうちにそうなるはず。
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