どうしても私たちに届けられる情報というものには、偏りがあります。
これは仕方がないことです。
戦争、飢饉、自然災害、失政、腐敗、予算削減、難病、大規模リストラ、テロ事件。世界はいつだって悪いニュースのオンパレードだ。
もしも記者が「航空機、無事着陸」「農作物の収穫、また成功」といった記事を書こうものなら、すぐに会社をクビになるだろう。
さらにこの場合はよくないことにと言っていいでしょうが、よくないことに、私たちは届いた情報の中でも「悪い情報」に注目する傾向があります。
- 脳に届く情報は悪いものが多い
- その中でも悪いものに私たちは注意を向ける
その結果、私たちは「ろくでもない世界にしか住めない」ということになる。
これが「FACTFULNESS(ファクトフルネス)」の打ち壊そうとしている前提条件です。
「FACTFULNESS(ファクトフルネス)」とは?
『FACTFULNESS(ファクトフルネス)』は文字通りファクトに満ちた本であり、見ようによってはファクトの羅列でしかありません。ですがこの本は、編集さんの力なのか、この種の本にありがちな独特のいやらしさがかなり緩和されています。
つまり著者がよく気を遣っているように見受けられるのです。
あなたがそう感じる理由はおそらく、世界にはまだまだ課題が山のようにあるからだろう。
「世界は良くなっている」と聞くと、「なにもかも順調だ」「課題なんて知らんぷりでいい」と言われているように感じるのかもしれない。
だから「無責任な言い草だ」と思ったり、嫌な気分になったりするのだろう。
物知りな人やリベラルな人にとって、もっとはっきり言えば「社会改良家」にとってこれはかなり切実な情緒的問題です。
「人々の意識を変えなければ」という表現があります。
無責任な人の意識を変えなければ世界は破滅するにちがいないと心配している人にとって「世界はいいところだ」という情報は、悪い情報です。
だからこそ、
戦争、飢饉、自然災害、失政、腐敗、予算削減、難病、大規模リストラ、テロ事件。世界はいつだって悪いニュースのオンパレード
なのは、悪いことに違いはないが、決して悪いことではないということにもなるわけです。
だから著者は何度も念を押します。気を遣っているのです。
なにもかも順調なわけがない。世界の課題には危機感を持って臨むべきだ。
飛行機の墜落事故、防げたはずの子供の死、絶滅危惧種、地球温暖化の懐疑論者、男性優位主義者、恐怖の独裁者、有害廃棄物、ジャーナリストの投獄、女性であるという理由だけで教育を受けられない女の子たち。
許され難いことが存在し続ける限り、わたしたちは安心するわけにはいかない。
とは言え世界はよくなっています。それも劇的に。それを示すのが「ファクト」だというわけです。
なんの変哲もない国連のデータに癒やし効果がある
私たちはこの本を読んで、なにが得られるでしょうか?
そもそもこの「ファクト」が「フルネス」の本は、ビジネス書でしょうか?
ビジネスパーソンはこれを読んで、何か得るところがあるでしょうか?
スマホのバッテリーの寿命を延ばすような即効性のある知識は得られないかもしれません。でもこの本は、ある程度こういう「ファクト」を受け入れる気になれる人で、かつ、妥当な神経の持ち主であれば、「読んでよかった」と感じることのできる本です。
私たちは誰もが「社会改良家」というわけではありませんが、少なくとも労力を払うのなら、何かがよくなってくれたほうがいい、くらいには思うでしょう。
もう少し実利的でも、税金を納めてるんだから、何らかの形で多くの人の役に立つような使い方がされてほしい、とは思うのではないだろうか。
税金がお役人の愛人のマンション代に消えているとしても、虐待された児童の心理ケアに使われているとしても、自分にはどっちでもまったく同じに思えるというほど乾いた精神の人は、一般的でない気がします。
わたしの話を聞いて「感銘を受けた」と言ってくれる人もいれば、「なんだか癒されたよ」と言ってくれる人もいた。
セラピーをしているつもりはないのだが、気持ちは理解できる。
講義で使っているのはなんの変哲もない国連のデータだ。しかし、ただのデータであっても、いつもネガティブに世界を見ている人にとっては癒し効果があるのだろう。
世界は思っているよりずっと良いと知れば、なんだか元気も湧いてくる。
以上引用はすべて『FACTFULNESS』からです。