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『ブッダとシッタカブッダ』で繰り返し脳裏をよぎるページ



大橋悦夫『ブッダとシッタカブッダ』という本があります。刊行は2003年なので今から16年前。刊行当時、書評か何かで本書の、ある象徴的なページが紹介されており、そのページを目にして「ははぁ」といたく感心させられました。

感心させられたものの、タイミングを逸してその場では買うことなく月日が流れていきました。

読んでいないのに、その後もこの象徴的なページのイメージが繰り返し脳裏をよぎるのです。

そのたびに「ははぁ」と最初に目にしたときと同じように感心する自分。

最初の「出会い」から年月を重ねる中で、さまざまな新たな体験を積み重ねますが、積み重ねるほどに、「あのイメージはまったくその通りだなあ」と、その深い洞察にうならされるのです。

16年たった今年、ようやく「よし、ちゃんと読もう」と思い立ってKindle版を購入、読み始めました。

ある象徴的なページ

その「ある象徴的なページ」とは以下です。

特に説明は不要ですね。

自分が伝えたいことについて、ぜんぜん見当違いの受け取り方をされるという哀しい出来事が起きるたびに、このイメージが去来します。

逆に、自分が分かっていたつもりだったことが、実はとんだ勘違いだったことに気づくたびに、やはりこのイメージが思い浮かびます。

むろん、すべてを包括的に分かることなど、どだい無理なのかも知れません。

でも、そうであるからこそ「分かる」ことにこれまで以上に時間をかける、「分かる」をゆっくりと噛みしめる、ありのままを捉えようと努めるしかないでしょう。

時間をかける、ゆっくり、ありのまま

この「時間をかける」、「ゆっくり」、「ありのまま」といったキーワードは、倉園佳三さんの近著『グッドバイブス ご機嫌な仕事』の内容とも共鳴します。

改めて『ブッダとシッタカブッダ』を最初から読み進めていたら、ほかにも共鳴する部分が多々あり、同じ対象に倉園さんの本とは違った角度から光を当てて見せてくれるように感じます。

全編マンガなので、読みやすいです。でも、一コマ一コマをじっくりと、まさに時間をかけてゆっくりと読み進めることで、ハッとする発見が得られています。

読み進めながら、過去の記憶が様々な形でつながっていく不思議さが心地よいのです。




編集後記