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ゲームとしてのタスクシュート



佐々木正悟 私は仕事をゲームに見立てる、いわゆる「ゲーミフィケーション」という発想には、もう一つ及び腰です。

うまくやれれば強力なのですが、うまくやれそうにないのです。

『ヒトラーのはじめたゲーム』(あすなろ書房)という本があります。この本の著者は極限状況を「ゲームに見立てる」ことで生きながらえることに成功する話で、これを読むと「ゲーミフィケーション」の強力さがよく理解でき、これを仕事に応用できないかとは考えてしまうわけですが。



どうして人はゲームにワクワクし、仕事にはウンザリなのか?

ゲームと仕事の類似性は時々指摘されます。人はなぜ、ゲームへのモチベーションがあんなに高いのに、仕事となるとそうではないのか、という議論です。

ここで疑問が湧いてくる。厄介なことも多く、挫折感も味わうゲームは学業や仕事と大差ないのに、どうして人はゲームにワクワクし、仕事にはウンザリなのか? 子どもたちはくり返しが多くて難しい宿題は大嫌いなのに、同じようにくり返しばかりでやたら難しいゲームに嬉々として飛びつくのはなぜなのか?

『残酷すぎる成功法則』



仕事とゲームには大きな違いが少なくとも2つあります。

1つめは、仕事の場合にはタスク実行と報酬との関係が、ゲームと比べてあまりにも曖昧であるということです。

ゲームでは「成功して怒られる」ということは決してありませんが、仕事だとそうもいきません。あらゆる点で申し分なくうまくやったのに、散々な目に遭うということも、極端ですがあり得ます。しかもその原因が、相手の間違いであったりもします。

2つめに、ゲームは完全なるシングルタスクです。何をすればいいかさっぱりわからないということもありますが、ゲームの中にいる限り、ゲームをやっていると言えます。

仕事の場合、仕事でないことができてしまいます。シゴタノ!を書くつもりが、Twitterを書いているということも容易にできるし、それではシゴタノ!を書いているということには全くなりません。

要するにゲームの方が仕事よりもはるかにシンプルであり、シンプルだということは不自由だということなのです。

ゲームでは、行けそうなところでも行けないことになっていれば行けません。飛び越えられそうなブロックも、飛び越えられないことになっていたら飛び越えられません。報酬は報酬。ペナルティはペナルティです。

ゲームとしてのタスクシュート

それでもタスクシュートは、仕事を少しばかりゲーム化することに成功していると私は感じています。それは、自分を少しばかり不自由にすることによって成功しているのです。

まず、タスクシュートはその外に出られない仕組みになっています。この点、ゲームとやや似ています。タスクシュートは「あらゆる行為にかかった時間をすべて計測する」ため、このルールを守ろうとする限りは、ゲームが成立するのです。

また、報酬と感じるかどうかにもよりますが、タスクにかかるであろう時間以下で仕事を終えれば、それは一つの報酬となります。

報酬が成立すれば、ペナルティも成立します。たとえ、仕事の成果としては理不尽に叱られることはあっても、1時間かかるはずのところを59分で終えられたという「報酬」を失うことはあり得ません。

この点もゲームに似ているのです。ゲームの場合にも、クッパを倒すまでゲームをやったことをお母さんに叱られることがあっても、クッパを倒したという報酬は失われないからです。

ただ、ゲームは、少なくともゲーム中はルールをプレイヤーに強制できますが、タスクシュートにそれはできません。ルールに意味を持たせるのは、タスクシュートの場合、プレイヤーがルールを守ろうという意思次第です。

それにタスクシュートは、エンディングテーマもなければ、そもそもBGMがあるわけでもなく、レベルアップするわけでもなく、経験値も表示されません。ひたすら現実からの報酬頼みの、極めて地味でシビアな、しかもエンドレスのパズルゲームです。

それだからきっと「はまる」人もいるわけですが、少しも面白くないと思う人もいるのでしょう。

▼編集後記:
佐々木正悟



第1回のきばキャスト by のきばキャスト • A podcast on Anchor

なんとかかんとか、どうにかこうにか、ポッドキャストを開始できたので、嘘をつかずにすみました。
第1回、更新しました。