これは、首都高の地図です。
時間管理に失敗しがちな人というのは、極端に言うと、「この図を完全に頭に入れてから、首都高を走ろう」とするような人です。
首都高を日常で使うようになる人は、そんなことはしません。
まずとりあえず目的地まで車を走らせてから、必要に応じて確認のため、このような図を使うものです。例外的な人はいます。
今はカーナビという至極便利なものがありますから、「首都高デビュー」がずいぶんラクになってはいますが、時間管理はどうしても「カーナビ時代以前の首都高」みたいになりがちです。「地図」がないからです。
いきおい「カチッとした計画表をたて、ムダのないことを確認してから、その通りに行動するのが時間管理術」という考え方になるのでしょう。
そうして「でもその通りにできない自分はダメな人」というパターンに入り込みがちです。
「このパターンから脱するために、もっと綿密な計画を、もっと高機能なツールで!」ということになってしまうのです。
「まずパターンの把握をする」のはほぼ不可能
まずパターンを把握してから、そのパターンどおりに動けばいい、と人間は考えやすいようです。それだけ人間の脳が、高度に作られている証拠でしょう。
しかし、実際には地図のある首都高ですら、「まずパターンの把握をする」のはほぼ不可能です。つまり、パターンが複雑だからです。何だってこんなに複雑に作るのでしょうか。
時間管理の世界は、いっそう複雑です。地図がそもそも存在しません。また、一寸先は闇です。未曾有の大災害が次の日にやってくるかもしれませんし、気まぐれな上司が次の瞬間に仕事をふってくるかもしれません。
「まずパターンを把握してから」だと、永遠にパターンの把握はできないで終わるのです。5年後の計画だの、長期計画だのは論外。次週の計画すら、まともに作り出せるものではありません。「計画」がちゃんと立つのは、せいぜい3時間先の未来までに限ります。
しかし「自分がどのようなルートを辿ってきたのか?」の把握ならば、できます。そしてそこには、把握できてなくてもパターンはある。これが面白いところで、たとえパターンを把握はしてないにしても、パターンに沿った行動を取ることはできるのです。
パターンがアタマで把握できないのは、それが複雑怪奇なものだからですが、把握しておらずとも、人はパターンを実行することならできます。
自分がどんなパターンで行動しているか。まずそれを記録することが時間管理の第一歩なのです。
そのパターンは決して「美しい」ものではありません。美しいというのは認識しやすいということであり、認知的容易性を人は「美しさ」と感じがちです。
そもそも、認識しづらいからこそ行動記録が必要なのであり、そんなに認識しやすいパターンだったら、タスク管理ツールなど不要なのです。アタマの中で管理可能です。
カーナビだの首都高のマップが必要になるのは、「まっすぐ行けばつきます」ではないからです。認識しづらい、複雑怪奇なパターンを取り扱うからこそ、ツールというものが必要になるわけです。