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自我消耗説が否定されても気力が無限にあるとは言えない



佐々木正悟 この記事、前段は非常に面白く読ませていただきました。

そして、脳科学の専門家の間ではかなり前から知られていることだが、脳は難しい作業に取り組んでいるからといって、より多く血糖を消費するわけではない(英語記事)。脳は筋肉ではなく器官であるため、筋肉と同じ原理でエネルギー消費が増えることはないのだ。計算式に取り組んでいようと、猫の動画を観ていようと、脳は目覚めている間は毎分同じだけのカロリーを消費する。

では、(バウマイスターをはじめ)研究者らによって観測された現象を、どう説明すればよいのだろう。

意志力にまつわる30年の誤解を解く | HBR.ORG翻訳マネジメント記事|DIAMOND ハーバード・ビジネス・レビュー

私も、バウマイスターの「自我消耗」にはどうも納得がいっていなかったので、こういう批判記事が登場するのは、もっともだと思うのです。

上の引用部についてもそうですが、特に次の部分です。

同理論にまつわる魅惑的な要素の一部、たとえば「糖分は意志力の促進剤として働く」などは、完全に誤りであると判明している(英語記事)。そもそも、レモネードをちょっとすすって得られた糖分は、脳のエネルギーを少しでも高めるほど速くは血流に乗れない。

これは私には常識だとしか思えない。どうして「脳の力が衰えてきたときに、糖分を摂取するとエネルギーが回復する」などという奇怪な話になるのか。糖分は胃に向かうのであって、まっしぐらに脳に向かったりしないのに。せめて小1時間程度の「間」が必要でしょうが、昼食時に「エネルギー補給」して1時間くらいたつと、むしろ眠くなる人が多いのも周知の事実です。

自我消耗という説は、あまりにも「気力の消耗」をRPGみたいにとらえていすぎます。なにか「数字で表せる」もののようですら、あります。気力は、ガソリンのメーターで確認したりはできないものです。

が、「意志力にまつる30年の誤解を解く」で私に同意できるのはここまで。つまり自我消耗説否定までです。

そもそもゼロになってはならない

自我消耗説が否定できたからといって、認知リソースが有限であることまで否定しきるには、無理があると思うのです。

自我消耗が起こるのでないなら、認知リソースは無限だと「証明」できているか?
この記事の内容で、「気力の無限性」は別に説明されていません。

気力の消耗については、新たな研究で別の説明が提唱されている。スタンフォード大学の心理学者キャロル・ドゥエックらが米国科学アカデミーの紀要に発表した研究によれば、自我消耗の徴候は、「意志力は有限の資源」だと「信じた」被験者でのみ観察されたという(英語論文)。意志力を有限と見なさなかった被験者は、自我消耗の徴候を示さなかった。

これはいかにもあり得そうなことです。「リソースが有限であろうと無限であろうと、自分が気力を振り絞ることを固く決意している人」ならば、まだ底をついていない気力を用いて、何らかの困難を乗り越えることだってできるでしょう。

問題は、そういうことではありません。問題は、認知コストの浪費というのは高くつき、認知リソースは「貴重だ」という点にあります。

安易に使い果たしてはいけないものだし、そもそも使い果たすようなことがあってはならないのです。

ほとんどのドライバーは、ガソリンタンクがゼロになるまで運転を続けたりはしないものです。その前に、ガソリンスタンドに行って給油するはずです。

たいていのドライバーは、「ガス欠になった経験などない」でしょう。だからといってガソリンを無限に積んでいると信じる人はいないはずです。

最近の自動車が「エコ志向」であるように、脳は古来から倹約家なのです。認知コストの浪費が高くつくことを自覚しているからです。アメをなめたくらいで、速やかに元気を回復したりできないのです。

自我消耗というのは数値的に逆らいようのない物理エネルギーの枯渇というより、脳が節約モードに入ろうとしているという兆候です。じっさい、仕事中に「セーフモード」に入ってしまうことはよくあることです。

たとえ消耗を抑えようとしているにせよ、「今が大事だから限界まで気力を振り絞る!」という決意は、崇高なものだと思います。そういう時も、あるでしょう。でも、「崇高な決意」は、毎日おこなうべきではありません。月に1度だとしても、多すぎるくらいです。

つまり、自我消耗とおぼしき予兆を自覚したら、まず「仕事を切り上げて店じまいし、ほかは翌日以後に回せないかをリスケする」ことこそ必要なのです。そんなときであっても「自我消耗など信じなければ気力を振り絞ることはできる」のは、事実です。「気力はゼロになってない」のも事実です。そもそもゼロになってはならないものなのです。ガソリンタンクがなくなる前には補給が必要なのと同じです。

だからといって「自我消耗の存在など信じなければ、気力は無限に使える」といった、神がかりを信じて常にメーターゼロすれすれを繰り返していれば、いつかかならず「ガス欠」に似た事態を迎えることになります。それは、ドライバーが一生ガス欠と無縁でいるべきであるのと同様、一生無縁でいたかったと必ず思うほどの被災なのです。

▼編集後記:
佐々木正悟



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