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30分に1度は休憩すると1日の生産性が確実に向上する


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佐々木正悟 ずっと作業しつづけると作業効率は低下するものです。

さして難しくない作業でも、全く同じ作業を延々繰り返させられていたら、なかなかモチベーションを保つことが容易ではなくなります。

ルーチンワークを繰り返すうちに、質が低下し、ストレスに感じられること。これを、心理学用語では「心的飽和」といいます。

この分野の専門家としては、レヴィン、カルステンといった名前があがるのですが、歴史的にはかなり古い研究で、1920年代までさかのぼることができます。

ところがこれよりさらに昔、1907年までさかのぼると、これに似たような研究を、日本人の女性がしていたというちょっと驚かされる事実がありました。

原口鶴子さんという方で、1907年にコロンビア大に留学し、エドワード・ソーンダイクのもとで「精神疲労と学習」をテーマとして博士号を取得したようです。

精神疲労はmental fatigueの邦訳だと思います。論文を読んでいないので何とも言えませんが、この概念は「心的飽和」の概念と、よく似ているはずです。

これは経験的には誰もが知っているものです。断続的に同一作業を延々繰り返させられたのでは、ほとんどの人が強いストレスを感じてしまいます。

でも実験的に例証されているというのは、重要です。なぜなら、精神疲労や心的飽和のストレスを感じたとき、その理由を詮索せずに済むからです。これは、同一作業を繰り返させられることによる、モチベーションの衰退が原因にあると言えるのです。

いつも急いでいませんか?

タイプAという「性格」をご存じでしょうか? 今から三十年くらい前、私が中学生だった頃にはけっこうもてはやされた概念なのですが、今ではそんなに耳にしない言葉かもしれません。

「競争的でいつも急いでおり、怒りやすく攻撃的で過剰に活動的な人の性格特性を言う。周囲に認められたい欲求が強い。アメリカの医師フリードマンとローゼンマンによって発見された」とウィキペディアにも短いながらあります。

「こういう人はいるな」と思い当たる人も多いでしょう。とにかく「いつも生き急いでいるような感じ」がにじみ出ているタイプです。

このタイプの人はいうまでもないのですが、いったん仕事に取り憑かれると、ぜんぜん休憩を取らずに仕事を続けてしまうという人がけっこういます。「私は怠け者で…」などと口にする人に多くいます。「怠け者だからいったん休むと仕事をしなくなるから、いったん仕事を始めたらそのモードで突っ切りたい」という不安心理があるようです。

しかしこういう仕事の仕方というのは、メンタルパワー活用効率的に、非常に良くないのです。というのも冒頭にあげた「心的飽和」や「精神疲労」というものがあるからです。

休憩は何らかの形でメンタルパワーを回復させる

人間は、同じ作業をつづけると、ただ同じ作業をつづけることの難しさゆえに、余計な心的努力を必要とします。

運転免許を取得する際、免許教習所などで「A」を何度も何度も書かされるという適性試験を受けさせられた人が多くいると思います。あれは、運転する人の集中力の持続レベルをテストしているのです。高速道路の運転中ずっと同じ刺激にさらされた中で集中力を要求されるようなことがよくあります。単調な運転になりますが、だからといって集中が途切れて眠ったりしたら大変です。だから、難しくもない単調な作業を高い注意力で維持することは、実は難しいことであり、メンタルパワーをたくさん使うのです。

高速道路でもしょっちゅう、サービスエリアなどで休憩を取るようにいわれていますが、なかなか取らずにずっと運転しつづけたがる人が多い。

「高速道路に入り走行距離100km未満、時間にして約1時間以内の場所で死亡事故が約5割発生。このうち、約27%が居眠り運転や考え事などの漫然運転によるもの」(警察庁交通局交通企画課)という統計があります。

ふつうに考えれば運転して1時間以内にそんなに「疲れる」とは思えません。つまり、人はまったく同じ作業をつづけつつ、集中力を保つことがかなり苦手なのです。

理想的なことを言うなら、休憩は、1時間以内に最低は1度、です。運転の話をしているのではなく、メンタルパワーの活用のためです。

長時間、集中して仕事を継続していると、メンタルパワーは「仕事以外」の部分にどんどん消費されていってしまいます。

たとえ1つの仕事は集中して2時間で終わらせることができたとしても、残りの6~7時間は、ほとんどメンタルパワーが使えない中での作業となり、作業効率は著しく低下すると考えた方がいいでしょう。休みなくしごとをつづけるというスタイルは、想像以上にまったく非効率的です。

▼編集後記:
佐々木正悟



» 『されど愛しきお妻様 「大人の発達障害」の妻と「脳が壊れた」僕の18年間』

前回の記事でも少しばかり「大人の発達障害」を念頭に書きましたが、その流れもあっていま、この本を読んでいます。

これは非常にいい本です。ともすれば、あまりにも深刻で救いようのない話になるところを、巧みな書きっぷりでユーモラスな表現で描き出されています。

「大人の発達障害」の本というのは実のところ、誰に向けられて書かれているのか、非常に微妙になりがちです。

「発達障害者」向けなのか、「そのケアをする周囲の人」に向けられているのか、「その同僚や上司」向けなのか、そのすべてなのか。

いまどきは、見ようによっては「発達障害気味」の人も少なくありません。私自身も含めて。だから「発達障害系の本」を読んでいくと、「周りにこういう人がいたらこうしてあげて」なのか「自分の事を言われているのか」で、困惑してくるのです。

もともと「自閉症スペクトラム」などと言うとおり、ただでさえ線引きの曖昧な「精神系」の話の中でも、いっそう線引きが曖昧ということもあり、線引きそのものの中に投げ込まれている感覚を持ちやすい困難もあります。

その曖昧さという問題を含んだ難しさを意識させられつつも、いかにも奇妙な「お妻様」のエピソードを読むなかで、どうすればいいのか少なからずヒントを得られます。主観的に、それも脳の高次機能障害を抱えている著者が主観的に書くから見えてくる「発達障害の難しさ」を多少とも体感させられる得がたい本です。