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評論家と研究家

例えば、「時事問題評論家」と名乗るより「時事問題研究家」と名乗る。評論家と名乗ると、周囲からは評論できるネタを持っていることが期待されますが、研究家であれば「研究中です」と言ってかわすことができます。

自分が普段やっていることが評論なのか研究なのかを見極めたうえでどちらを名乗るのがよりふさわしいかを決めるわけですが、それ以上に名乗った時に周囲に与えるイメージも視野に入れておかなければ自分が打ち出したいイメージがうまく伝わらないことになります。

前回まで数回にわたって「自分のキャッチフレーズを作ること」についてあれこれ書いてきましたが、自分で作ってみる前に、世の中のキャッチフレーズを観察してみます。

以前、新聞を読んでいた時に、ホテル各社が夜景の美しさを売り物にしている、というような特集があり、その中で「夜景研究家の**さんによると…」というコメントを目にしたことがありました。

どんなことであれ「研究家」と名乗れば、その道に詳しそうな人、という対外的なイメージが生まれます。もちろん「夜景研究家」は僕自身初めて目にした言葉ではあるのですが、それでも比較的すんなりと「あぁ、そういう人が言うことであればある程度は信頼できるのかな」と受け入れてしまうことに驚かされます。

もし「夜景評論家」だったとしたら、少なくとも何冊かの夜景に関する著作があり、その分野では頻繁にメディアに露出している人、という印象を受けます。もしそういう実績が一切なく、本人が自称しているだけであれば何となく違和感を覚えるでしょう。

最近よく見聞きする「料理研究家」という肩書きを持つ人たちを見ていると、ほぼ例外なく自分で料理に取り組み、自分の料理に関する考え方や方法論を実践を通して伝えようとしていることに気づきます。

もし彼らが「料理評論家」と名乗っていたとしたら、おそらく自分ではあまり料理はせずにもっぱら食べる側に回って「この料理はどーだこーだ」とか「歴史的にはどーだこーだ」という料理に関する専門知識をテコに自分の見解を伝えようとするでしょう。少なくとも、周りの人はそのような人として見るはずです。

とは言え、「研究家」も広く使われるようになってきたため、何かオリジナルなことをやろうとしたときに、テーマこそ他に類を見ない独自のものであったとしても、外から見たら「あぁ、研究家ね」とスルーされはしないまでも、そうなるのも時間の問題のような気がします。言い換えれば「え、なんですかそれは?」と相手が思わず質問をしたくなるようなパワーが時間とともに減衰していくと思うのです。

ところで、「研究家」と1文字だけ異なる「研究者」という肩書きがありますが、研究家が一匹狼的なのに対して、研究者はどこかの組織の一員というイメージがあります。会社から独立して、ちょっとユニークな肩書きを名乗ろうと思ってもなかなか名刺に「企業問題研究者」とは刷り込まないでしょう。むしろ「企業問題研究家」の方がしっくり来そうです。

逆に、実態は一人で活動しているにも関わらず「株式会社***グループ」とあたかも持ち株会社のようなニュアンスを帯びさせている人もいます。「グループ」と聞けば、その人のバックには別の専門家が控えていそうな連想が働くからだと思われます。つまり“厚み”を感じるわけです。

また、知り合いのソフトウェア会社の社長は、名刺を2種類持っています。1枚は「代表取締役」で、もう1枚は「技術本部長」。商談の際に相手や状況に合わせて使い分けることで、交渉をしやすくするのだとか。例えば、「技術本部長」の名刺を出せば「ちょっと持ち帰って上と掛け合ってみます」という言い訳が効きますが、「代表取締役」を名乗っていたらもう上がいないのでこれは使えません。

さらに、先方からすれば営業の現場に「代表取締役」がやって来るということは、「トップセールス」と受け取ってもらえるかも知れませんが、多くの場合は「企業規模が小さいんだな」というイメージを与えることになるでしょう。それが交渉上、あるいは心理的に不利に働くようであれば別の肩書きの方が望ましいと言えます。

これらの事例は「自分のキャッチフレーズを作る」で書いた以下の内容と重なります。

キャッチフレーズを考える上では、自分が見せたいものではなく人が見たい(であろう)もの、あるいは自分が思っている自分ではなく人から見られている(であろう)自分をうまく表現できているかが大切だと思います。

このブログには「仕事を楽しくする研究日誌」という“肩書き”があり、そうなると書いている僕自身の肩書きは「仕事を楽しくする研究家」ということになるのですが、実はあまり深く考えずに決めた割にはこの名前のおかげでブログを続けられているのかも知れないと思っています。

書くネタが枯渇しそうになっても、ふと自分のブログのタイトルを見たときに初心に立ち返ることができるからです(もしタイトルを見てもピンと来なくなったら、名前を変えるか別のテーマでブログを作り直すかすると思います)。

始めた当初は特に名前をつけずに書いていたのですが、書いているうちに前回書いたような

自分が得意とすることであり、誰かしら人の役に立ち、心からやりたいと思っていて、自分ならできそうという自信が持てるうえに、続けていくための──途中で息切れして立ち止まったとしても、リタイヤすることなく再び走り始められるくらいの──少し先にあるゴールが見えている状態

にわずかながらも近づくことができている実感を覚え、そのタイミングでふと思いついたのが「仕事を楽しくする研究日誌」というキャッチフレーズ(というかタイトル)でした。

“最初に名前ありき”の方が望ましいのかも知れませんが、とりあえずしばらく書いてみてから決めるということでも間に合うのだと実感しています。むしろ最初に名前を決めない方が型にはまらずに書けるので良いかも知れません。書いているうちにテーマが見えてきたらそのタイミングで初めて看板を掲げるわけです。

無理に型にはめこもうとして、それが後で発酵して膨らむかも知れない膨張の余地を奪うことになったらもったいない話ですので。。