さて、三回目の連載です。いまさら、という感はありますが、「知的生産」の定義と、そこにどういった意味が込められているのかを合わせて考えてみたいと思います。
すでに一般的に使われている言葉ですが、定義だけでなく、そこに含まれている意味も使う人によってバラバラなのが現状ではないでしょうか。
一度じっくりと考えてみることで、「知的生産」を効率的に行うための指針や、本質に迫る「認識」を生み出せるのではないかと思います。
そもそもの定義
『知的生産の技術』という本の中では、以下のように定義づけされています。
p9
「知的生産というのは、頭をはたらかせて、なにかあたらしいことがら──情報──を、ひとにわかるかたちで提出することなのだ」
この定義の中には3つの要素が含まれています。それを抽出すると
- 頭を働かせて行う行為
- あたらしいことがら(情報)をあつかう
- 他の人に理解できる形でアウトプットを行う
となります。これら3つが合わさって初めて「知的生産」と呼ぶことができます。
簡単なようですが、これで知的生産の定義はほぼ見えたと言ってもよいでしょう。
さらに、似た事例との比較を行うことで、「知的生産」に含まれた意味を考えてみたいと思います。
知的生産と物的生産
物的生産とは、一般的に使われる「生産」という言葉と同じです。
物的生産は、元となる原材料に加工を施し、それ自体に価値がある「製品」を生み出す行為です。その製品の価格は、全ての原材料を集めた価格(原価)よりも高くなるのが普通です。それは、生み出す元になった経費および付加価値に対する価格が上乗せされているからです。簡単にまとめると以下のような式になります。
原材料の価格 + 必要経費 + 付加価値 = 製品の価格
この対比でみると、知的生産は「情報」に付加価値を付けて新しい「情報」生み出す行為と言えます。新しく生み出された情報の価値は先の例から考えると
元の情報の価格+生み出すのにかかった経費+付け加えられた価値=新しい「情報」の価格
となります。
最近では、元の情報はほとんどフリーでウェブ上に流れていますし、情報を流すのにも、受け取るにもたいした経費は必要ありません。そういった状況であれば、知的生産で生み出された「情報」の価値は、新たに付け加えられた価値に比例していくことになります。
※1 元の「情報」がとてつもなく入手が難しい場合、ほぼ何の付加価値が無くてもそれを公開することだけで「情報」の価格は高くなります。
※2 その知的生産者がとてつもなく有名かつ多忙な人の場合は、情報を生み出す行為が、「それをしていなければ得られたであろう収入」とイコールで結ばれて経費の項目がふくれあがります。この場合も、情報に新しい価値がなくてもその価格は高くなりがちです。
知的生産と知的消費
次は「生産」と「消費」という対比で考えてみます。
以下は知的消費についての、『知的生産の技術』からの引用です。
「人間の知的活動には、いろいろなものがあって、知的活動をしたからといって、かならずしも情報生産するとはかぎらない。なかには、まったく消費的なものもすくなくない。たとえば、マージャンや将棋をたのしむのは、一種の知的消費である。」
つまり、知的活動という大きな枠組みがあって、その中で知的生産と知的消費が分かれる、ということです。何一つ情報生産に関与しない行為が知的消費と呼ばれることになります。
この例えで挙げられているマージャンや将棋は非常にわかりやすいものですが、それ以外にも一見消費という言葉からは連想しにくいものも存在します。
時間を空費させるもっとも大きな敵は、下手な勉強だ
これは、『知的生活の方法』という本の中で紹介されているハマトンの『知的生活』という本の一節です。
何かを勉強することはとても良いことのようですが、そこから何か生産物を生み出すことができなければ「知的生産」とは呼べず「知的消費」に分類されてしまいます。これは最初に述べた知的生産の要素の「他の人に理解できる形でアウトプットを行う」が抜けている状況です。
何かを考えた、新しく知識を仕入れた、というだけでは知的生産とは呼べません。それは生産のための手段であり、目的ではありません。
知的生産において心がけるべき事
これらの「知的生産」の定義づけや意味から見えてくることは何でしょうか。
要点を絞れば以下の3つになると思います。
- アウトプット(成果)を目的として行動すること
- 生み出される情報の「価値」を意識すること
- 時間の使い方を意識すること
本当に多くの情報がある中で、手段である情報収集がいつの間にか目的に変わっていることはよくあります。目的を見失わないためにも、目的に沿った手段の運用をきっちりと意識しておく必要があります。
また、コピペ文化などと揶揄されることのある現代ですが、誰でも手に入るソースをコピペして並べてもたいした価値は生まれません。
※コピペして並べた、という手間に対応する価値は生まれます。
無料で手に入る情報でも、その人ならではの切り口があればそれが「付加価値」になりますし。またその人の知名度が高ければそこに上乗せの価値が生まれます。
大抵の人は、「付加価値」に注力していくのが賢明でしょう。
時間に関しては、一概に全ての時間を知的生産に向けろというアドバイスはできません。それ以外の時間の使い方も重要です。教養を高めたり、趣味に興じたりすることで、「付加価値」を生み出す下地を作ることができます。
※有名な学者や芸術家、作家などは驚くほどマニアックに趣味を追及している人が多数います。
しかしながら、私たちが持てる時間は限られています。自分の時間全てを「知的消費」に充ててしまえば生産物はいつまでたっても生まれません。これは消費と生産だけではなく、生産過程のインプット・アウトプットにも言えることです。バランスを意識して時間を使っていくことは大変に重要なことだと思います。
まとめ
今回は言葉の定義とともに、そこに込められた意味も一緒に考えてきました。くどいようですが、知的生産の3要素は
・頭を働かせて行う行為
・あたらしいことがら(情報)をあつかう
・他の人に理解できる形でアウトプットを行う
です。そして心がけたいことは以下の3つ
・アウトプット(成果)を目的として行動すること
・生み出される情報の「価値」を意識すること
・時間の使い方を意識すること
これらを踏まえて、あなたの時間の使い方を振り返ってみてはいかがでしょうか?
▼参考文献:
▼合わせて読みたい:
心がけたい事の一つとして上げた「アウトプットを目的として行動すること」の実践的手法が盛り込まれたのが以下の本。
キーワードとして上げられている”アウトプット優先主義”は効果的にアウトプットを行う上で必須の考え方だと思います。この本の中で紹介されている”アウトプット優先主義”に基づいた16個の理系的方法論はなかなか生産に着手できない人にとって初めの一歩を踏み出す手がかりを与えてくれるかもしれません。
いよいよ、12月も終わりに近づいてきました。次回は年末ギリギリです。一年間の振り返りはあわただしくなる前にやっておきたいところですね。
R-styleの方で「今年読んだベスト本!」なんてまとめもやってますので、読書好きな方はごらんいただければ、と思います。
▼倉下忠憲:
新しい時代に向けて「知的生産」を見つめ直す。R-style主宰。