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「だから楽しいじゃないですか、仕事って」

By: swong95765CC BY 2.0



大橋悦夫趣味でも仕事でも、およそ「続けてなんぼ」と言われるものに共通して、「飽き」をいかに乗り越えるか、という課題があります。

人には学習能力があるので、実際にやってみなくてもある程度の予想がつき「やるまでもない」と見切ることができます。反面、実際にやってみたら予想外の結果が得られて「やってみてよかった」という学習をします。

雑誌「ゲーテ」の8月号を読んでいたら、タグボートのCMプランナー・多田琢氏の以下の言葉が目に留まりました。

うまくいけば面白いんだけど、下手したら大失敗になるかもしれないっていうときに、ものすごく注意深く作業すると、それは必ず面白いものになる。だから楽しいじゃないですか、仕事って。うまくいった! って喜ぶことは、うまくいかないかもしれなかったこと、だから。

我々は、想定外のことが起こらないように、あるいは起きたとしてもダメージを最小限に抑えられるように対応策をあらかじめ周到に準備し、慎重に計画を立て、滞りなく仕事を進めたい、と妄想している反面、もし本当にそのような仕事が実現できたとしても、あまり「楽しい」とは感じられないのではないでしょうか。

先が見通せていることは安心材料ではありますが、あまりにくっきりと先が見えていたら、それはそれで障害になり得ます。ほどほどのデッサンで、後の色つけはその時々の勢いや気分に任せても良い、むしろその方が望ましいとさえ思います。

デッサンの段階と色つけの段階とでは見えている範囲が異なりますし、徐々にできあがっていく“絵”を眺めながら新たなインスピレーションが湧き、デッサンの段階では気づかなかった工夫の余地が見いだされることがあるからです。

自分で計画して、自分で実行していることにもかかわらず、進めていくうちに当初は想定になかったモチーフやアイデアが浮かぶ時、まさにこの瞬間が「楽しい」と感じられるのだと思います。

まったく新しい仕事のはずなのに、そしてそのつもりで新たな気持ちで計画を立てたのに、実行段階に入ってみたら、

 「これって、以前やっていたあの仕事を部分的に再利用できるのではないか?」

といった想定外の「似た構造の発見」に出会うわけです。

とはいえ、繰り返すうちに計画の段階から薄々「やり始めれば、きっとこういう発見があるだろう」という予想がついてしまい、最初の頃に強烈に感じていた発見の喜びや興奮もいつしか冷めてしまうものです。

このような「飽き」に見舞われた時、その後の選択肢は以下のいずれかとなります。

  • 飽きたのでもうやらない(別の仕事がしたい)
  • 飽きた結果、新しい方法を思いついて装いも新たに再スタート

設計と実行の間に横たわる断絶があるのと同じように、継続と倦怠の間にもまた断絶があると見ています。飽きてみて初めて気づくこと、あるいは、飽きるまでやらなければ見えてこないことがあるのではないかと思うのです。

飽きるまでの道のりは、りんごを囓っていって芯に辿り着くまでのプロセスに似ています。

途中で食べ飽きる人は、まだ芯を知らない飽き方。言うなれば「りんごを食べかけ飽きた」状態です。一方、芯まで食べ進むに及んで「もうりんごを食べるのは飽きた」と言う人は「りんごを食べ尽くし飽きた」状態と言えます。

この両者の間に横たわる“デバイド”が、「以前やっていたあの仕事を部分的に再利用できるのではないか?」という発見を引き出せるか否かを決めるような気がしています。

つまり、どんな仕事であれ“芯”が見えるまで、すなわち“モノにできる”までやり通しておくこと。これにより、一見別の見た目の果物であっても、「これにもりんごと同じように芯があるのではないか?」という仮説をもって臨むことができます。

しかも、この発見は予定できることではなく、忘れた頃に「そういえば…」とやって来ます。

あらかじめ未来の自分のために仕掛けておいたスイッチを、忘れた頃に、しかもそれをスイッチと気づかずに押すことで、仕掛けた自分でも想像しえなかったような挙動を時空を超えて生じせしめる、という二重三重にひねりが加えられます。このようなプロセスが人をして

  • 「だから楽しいじゃないですか、仕事って」

と言わしめるのでしょう。

人は、放っておくと学習能力を駆使して、より安全な方法を採ろうとします。そして安全が確保される代償として「飽き」がモレなく付いてきます。安心は飽きの始まりと言えます。

そこで、この安全が確保されようとしているタイミングで、いかに“自分”を出し抜くか、すなわち「こうすればうまくいくんだ」という自信をつけつつある自分に対して、「でも、こういう場合はどうするんだ?」「本当にそれでいいのか?」という詰問をつきつけ、どこかしら「まだ終わりじゃないぞ」感を演出できるかが、次の“チャプター”に進めるかどうかを決めるのだと思います。

「24 -TWENTY FOUR-」「Prison Break」などの連続ドラマについつい引き込まれてしまうのは、この「まだ終わりじゃないぞ」が絶妙なタイミングで程よく組み込まれているからでしょう。

1つの仕事についてある程度の自信が持てるようになったら、意図的に新たな危機を組み込むことで、飽きのワナを避けて、仕事を楽しくし続けられるのではないでしょうか。