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けたたましい音で叩き起こされるより心地よい音で目覚めたい

毎朝起きる時に目覚まし時計代わりに携帯電話のアラーム機能を使っています。5種類の時刻を設定できるため、朝起きる時、仮眠を取る時など複数の時刻をセットしています。

「目覚まし(時計など)」の重要な役割として、単に音を鳴らして人を起こすだけでなく、止められてもめげずに鳴り続けて、主人の二度寝による“災害”を未然に防ぐことが挙げられます。このミッションを遂行するために、巷の目覚まし時計には、

 ・けたたましい音
 ・ステップトーン
 ・しつこいスヌーズ

といった機能が搭載されています。

ただ、音が大きいのは近所迷惑が心配です。必ずしも大きな音や耳障りな音でなくても、心地よい音でも目覚めることはできるでしょう(人によるかもしれませんが…)。でも、目が覚めなければアウトなので、念のため耳障りな音もあった方がよいかもしれません。

そして、スヌーズ機能も詰まるところは「先送り」であり、「もうちょっと!」と言っていったん止めて二度寝、三度寝を繰り返すうちにタイムリミットを超えてしまうかもしれません。

この2つの問題を解決するのに、音の違う目覚まし時計を複数台用意し、時間差で鳴るようにしておくという手が考えられますが、毎朝起きる時間が一定ならともかく、まちまちであれば毎晩1台ずつ時間差でセットするのが面倒になります。

このような経緯で携帯電話のアラーム機能を使うようになったのですが、これにより、

 1.携帯電話1台で事足りる(1台で複数の時刻を時間差でセット可能)
 2.種類の異なるアラーム音を設定できる

という、まさに上記の問題を解決できました。

使い続ける中でいろいろと試行錯誤を繰り返した結果、現在では、

 ・15分ほどずらした2種類の時刻をセット
 ・1つめは「この時間に起きたら気分がいい」という希望的目標時刻
 ・2つめは「この時間に起きないとマズイ」という現実的目標時刻
 ・1つめのアラームは耳に心地よい音
 ・2つめのアラームはどちらかというと不快な音

という“仕様”になっています。

最初のアラームで起きることができれば、つまり「優しく」起こしてくれているうちに起きることができれば、ちょっとトクした気分になれます。その時刻に起きる必然性は主体性から出発している、すなわち「早起きしたことで生まれた時間を自分の時間として有効に使おう」という気持ちがわくからです。

最初のアラームを逃すと

 「宿題やったの!?」
 「もう!今やろうと思ってたのに!」

というママとのび太の会話のように非常に気分が悪くなります。その時刻に起きる必然性が外から押しつけられるために、もはやそこには主体性の入る余地がなく、追われる形でのスタートになってしまうからです。

自分でやりたい・やろうと思っていることは「心地よい音」で祝福されたいですし、自分の意向とは無関係にやるべき・やらねばならないことは“警鐘”でリマインドされるべき、という色分けが考えられます。

以前、「判断の根拠を“慣習”にしないために」というエントリーで以下のように書いたところ、

つまり、「今日は何となくやる気が起きないから」とか「雨が降っているから」という自分の外にある要因に左右されることなく、もともと自分の内にあった「こうあるべき」という原則に従う姿勢です。

次のようなトラックバックをいただきました。

「したい」で生きる

私は必ず「・・・したい」で行動するようにしています。
第三者に「・・・するべき!」と言われて、「したいなぁ」と思えるなら行動しますし、
「したくないなぁ」と思えるなら行動しません。

まさにおっしゃる通りで、自分でも「べき」というのは強い表現だなぁと改めて読み返しながら感じていました。最後に行動するかどうかを決めるのは自分自身ですから、そこで背中を押されるように一歩前に出るよりも、人が何と言おうと自分がやりたいからやるのだ、という主体性をもって前に進みたいものです。

今回のトラックバックに対して感謝したいことは、

 「“するべき”より“したい”にすべき」

になっていなかったことです。あくまでも

 「“するべき”より“したい”にしたい」

という姿勢に学ばせていただきました。

朝起きる時にも「起きるべきだから」より「起きたいから」起きるようにしたいですね。