EU統合の始まりは1951年に締結されたパリ条約にさかのぼります。フランス、ドイツ(西ドイツ)、イタリア、ベルギー、ルクセンブルク、オランダの6カ国が欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)を設立、これが切っ掛けとなって軍需にとどまらず商業・経済の活動にも拡大し、現在のEU統合への道筋がつけられます。
ECSC設立の伏線として、戦前からヨーロッパ統合運動に取り組んでいたジャン・モネの存在があります。彼は早くから統合の具体的な構想を打ち出していたものの、当時はあまり真剣には取り合ってもらえなかったようです。
それが、二度の大戦を経てヨーロッパが疲弊し「もう二度と戦争はできない」というムードが高まった時、ようやく日の目を見ます。
「疲弊したヨーロッパを立て直すには鉄鋼生産が欠かせない」
そのための材料はそろっていました。ドイツは大規模な製鉄所の再建をもくろみ、隣国のフランスとベルギーはその製鉄所に売り込むに足る石炭を有していました。
でも「元敵国のドイツに売り込んでそれが兵器に変わったら」という危惧から、フランスは踏み出せずにいました。そこで当時のフランス外相シューマンは友人のモネに相談したところ、モネは以下のようなアイデアを提示します。
●欧州統合のカギは宿敵同士であるドイツとフランスが手を結ぶこと
●石炭採掘と鉄鋼生産を三国(ドイツ、フランス、ベルギー)共同の管理下に置く
このアイデアがもとになってECSCが設立されました。
当時のフランスが抱いていたような「元敵国のドイツに売り込んでそれが兵器に変わったら」という不安は、レベルは違えど、我々個人にも1つや2つあるでしょう。この不安は、はっきりとは自覚できていなかったとしても、日々の行動に強い影響を与えます。
特に理由はないが、何となくAよりもBを選んでしまう、それによってますますBを選ぶ傾向が強くなる、という強化のプロセスを経て、Bの正当性たる所以やAを選ばない理由が後付けされていきます。
こうなると、もはやBを選ぶ本当の理由、つまり“原初の不安”に辿り着くことは困難です。かくして“何となく続けている作業”として慣習化されるわけです。ここで注目したいのは、タイミングです。
そもそも記事の中でも東証のこの慣習の始まりは「いつからか判然としない」とされていますし「冬の風物詩」という言葉も見えます。
AでもBでもどちらを選んでも変わらないような場合にBを選ぶ、その瞬間に「なぜ、Bを選ぶのか」の理由を突き詰めておく、つまりBを選ぶことによって解消される不安があるとすれば、それはいったい何か、という質問をもって選択の根拠に迫ります。
例えば、本来午前中に終わらせるべき仕事なのに、つい後回しにして、それが午後になり夕方になり、そして夜にずれ込み、結局翌日に先送りされてしまう時、最初の後回しのタイミングで何とか踏ん張って、「なぜ、今この仕事をやらずにメールチェックをしようとしているのか」と自問します。
この最初のチェックポイントを突破されてしまうと、以降の“関門”はあってなきがごとしです。午後に入ってしまうと、午前中にやるべき仕事よりももともと午後に予定されていた仕事の方が圧倒的に有利であり、イニシアチブが取りづらくなるからです。
それゆえ、最初のチェックポイントできちんと“理由”を質し、その場でしかるべき対応をしておく必要があるわけです。
ジャン・モネの提示したアイデアは、“理由”さえ明らかになれば、現状を何とかする手段を見いだしうることを教えてくれます。そして、そのアイデアの根底には、周りから何と言われようと決して曲げない信念が感じられます。同じ材料がそろっていたにも関わらずモネだけが不安を払拭ための統合のアイデアを提示できた背景には、彼がその時の状況だけではなく、長年にわたる自身の揺るぎない信念が拠り所にあったと考えられます。
つまり、「今日は何となくやる気が起きないから」とか「雨が降っているから」という自分の外にある要因に左右されることなく、もともと自分の内にあった「こうあるべき」という原則に従う姿勢です。
原則を確立することについては一朝一夕にはできないかもしれませんが、一方で、最初の「何となく」の判断に対するスタンスを変えることはすぐにでもできそうです。
このタイミングを逸してしまうと、次々と「何となく」な判断が積み重なっていき、その結果現れるのは、もはや自分でもなぜそうするのか理由を説明することのできない「ずっとこの方法でやってきたから」という抗しがたい“慣習”でしょう。