仕事にはたいてい数字がつきものです。予算の金額に始まり、見積もりがあります。作業ボリュームを決めるための文字数やページ数、システムを構成する画面数やシナリオの数、そしてこれらを作り上げるのに必要な時間がすべて見積もりの金額に反映されていきます。
そして、晴れて受注となれば、日々のスケジュールに従って、残り時間と闘いながら約束した品質(これも数字で表すことができるでしょう)に高めていきます。
納品が完了すれば、検収があり、請求があり、入金があります。いずれも数字を巡るやり取りとなります。
このように仕事の枠組みは、すべて数字が基礎になっているのですが、中身の仕事そのものに目を向けてみると、数字だけでは割り切れない、扱いが困難な“ナマモノ”的側面を持っていることに気づきます。
つまり、すべてが設計通り、計算通りに運ぶわけではなく、必ず途中で想定外の事態に遭遇し、この問題を決められた枠内で解決して、最終的には所期の計算通りの状態に帳尻を合わせていくという「カッチリとした枠組み・中身はどろどろ」という現実があるわけです。
ところで、昨日は『Life Hackers Conference 2006』というイベントに参加したのですが、その中で語られていた以下の言葉が印象に残っています。
煮詰まったときに変えるべき環境(逃げ場)がある、ということ。
これは、サイドフィードの赤松さんによる開発合宿についてのプレゼンでの一言なのですが、具体的にはお風呂のことを指しています。
日常を離れて、開発に集中できる環境に身を置くことによって、普段の何倍もの生産性を享受できる反面、合宿として開発に使える時間は約48時間(2泊3日の中で起きて活動している時間)という限られた枠の中で、煮詰まってしまった時の逃げ場として「入浴」が有効なのだそうです(それゆえ合宿所の条件として「24時間風呂」は外せないのだとか)。
合宿における入浴というのは、予定として予め組み込めるものではないでしょう。煮詰まる頃合いを前もって予測しておき、果たして予定通り煮詰まり、おもむろに入浴する、というスケジュールを立てるくらいなら、煮詰まらないようにすることに注力するはずだからです。
「カッチリとした枠組み」である合宿にも、必ず「どろどろ」に煮詰まるシーンが出てくるため、予め「入浴」という対策を組み込んでいることになります。
そう考えると、目の前にある48時間かかる仕事を終えるのに48時間では足りない、というパラドクスがあることに気づきます。つまり、「どろどろ」を見越した「入浴」のような“のりしろ”を組み込んでおかなければ、本当の意味で予定通りに仕事を終えることができないわけです。
人間の身体はその70%が水分で構成されていると言われていますが、水というのは放っておくと低い方に流れていくものです。これをせき止めるためにダムを作ったり、吸い上げるためにポンプを使ったりするのですが、これらのツールがなければ、どこまでも流れていってしまいます。
でも、もしその水を一点に集中させることができれば、「雨垂れ石を穿つ」の通り、厚い壁を貫き通すくらいのパワーを生み出すこともできます。そして、ほとんどが水である人間を一点に集中させるためのツールが合宿に代表される「枠」だと言えます。
このことは、同じ長さの時間であっても、枠の区切り方次第で結果が大きく左右されることを示しています。
例えば、冷凍庫にあるアイストレイは細かく区画が区切られているからこそ短時間で氷ができるわけで、これがもし洗面器のような大きな容器にはいった水であれば、氷になるまでには相当な時間が必要でしょう。
逆に、泳ごうと思ったら一般家庭にあるようなバスタブでは無理で、プールのようにもっと広い空間が必要です。
これは、以下の2つの状態を指しています。
1.必要な時間がまとまってある状態
2.必要な時間がコマギレにある状態
それぞれの状態ごとにふさわしい仕事があるはずですが、ふさわしくない仕事をすると「どろどろ」が加速することになります。
このあたりについては、また次回に。。