やりたいことがあり、それをするための時間も確保でき、あとはもうやるだけ、という状況。
…にも関わらず、なかなか取りかかれない。
取りかかれるのに取りかからない。
「れない」のではなく「らない」。
「本当にいまこれをやるのが正解なのか? 後で後悔したりしないか?」という迷いが不意に立ち現れ、まごまごしているうちに機を逸してしまう。
人はこういうとき「私は意志(力)が弱いので…」という理由でこの問題の幕引きをしようとするものです。
でも、同じ人であっても常に「やらない」わけではなく「やる」ときもあります。
何が違うのか?
この「違い」を捕まえておかない限り、常に「今日の自分は『やる自分』だろうか? 『やらない自分』だろうか?」という不安から逃れられません。
「選択肢」を絞り込むしかない
「やれる」のに「やらない」のは、他にももっと簡単な「やれる」ことが目に入ってきてしまうからだと思います。
極端に言えば、今やれることが「ずっとやりたかった本当にやりたいこと」しかない状況であれば、きっとそれを「やる」はずなのです。
ほかに“ライバル”がいるがゆえに、そしてそれが「ずっとやりたかった本当にやりたいこと」に比べて抵抗が低いがゆえに、あっさりと競り負けてしまう。
従って、「ずっとやりたかった本当にやりたいこと」しかない状況、あるいはそれに近い状況を意図的に作り出すことが対策になります。
採れる「選択肢」を絞り込むわけです。
「選択肢」を絞り込むためには?
特に自宅で仕事をしている場合、「やれる」の選択肢は無数にあります。
この状況を脱する、すなわち「やれる」の選択肢を絞り込むには、以下いずれかしか方法がありません。
- 1.自宅以外の環境に身を移す
- 2.自宅を自宅たらしめている要因を無効化する
1は、カフェやシェアオフィスといった自宅とは別の環境に身を置くことで、物理的に選択肢を絞り込む方法です。
↓これについては「環境ドリブン」というキーワードでいくつか記事を書いています。
シェアオフィス「PoRTAL」のオフィスとしての不思議さと「環境」のパワーについて
『なぜ一流の人は自分の部屋にこだわるのか?』から学ぶ、自分にとって望ましい「環境ドリブン」をいかに引き寄せるか
※上記以外はタグ「環境ドリブン」からどうぞ。
2は、個人的には「新しい!」と感じたのですが、以下の記事で知りました。
» 自宅を“オフィス”として開放するスウェーデン発の働き方「Hoffice」 – CNET Japan
自宅勤務は快適だが、1人で黙々と働くことに孤独感や閉塞感を感じるフリーランサーは少なくない。
オフィスを借りて数人でシェアしたいところだが、賃料などのコストがかさむのが難点。
そんな個人事業者に朗報がある。
自宅がオフィスとして無料開放され、ソーシャルな環境で仕事ができる機会が生まれているのだ。
これはスウェーデン発の「Hoffice」と呼ばれるネットワーク。
その名も「Home」と「Office」を融合した造語である。
ボランティアが自宅を開放し、Facebookを通じて参加者を募集。
見知らぬ者同士が1日“コーワーカー”として一緒に働いたり、休憩したりするシステムだ。
スウェーデンやデンマークを中心に現在世界102都市に広がっているHofficeは、新しいスタイルの働き方として注目されている。
自宅ならではの「何でもできてしまう」という利点を、他人を招き入れることで無効化してしまおう、というわけです。
「ホーソーン効果」という、他人の目があることで、それがないときよりもパフォーマンスがアップするという実験結果があります。
たとえば、授業参観の日は普段は手を挙げない生徒が積極的に手を挙げるようになったりします。
カフェやシェアオフィスで仕事をすることは、まさにこの「ホーソーン効果」を期待してのことでしょう。
たとえその他人(たち)が自分のことを積極的に監視しようという意図を持っていなかったとしても、
- その他人(たち)に「ぜんぜん仕事をしないダメな人」などと思われたくない
- 逆に「何をやっているのかは分からないがとにかく真剣な表情で作業に打ち込んでいる」他人(たち)が常に視界に入ってくることで「自分ももっとがんばらないと」
…といった気持ちが自然と沸き起こってきます。
僕自身がシェアオフィスに赴いて享受しているメリットはまさにこれですが、上記の記事はこのメリットを自宅に居ながらにして実現させようとしていることになります。
言ってみれば、外食する代わりに出前を取る感じです。
記事の後半にある、
- 45分間の仕事セッションと15分の休憩を繰り返す
- 仕事を始める前に次の45分に自分が到達したい目標を皆の前で発表する
- セッションの終わりにそれが到達できれば、皆でそれを祝う
といった「ルール」は、個人的にはやや行き過ぎ感があるのですが、とにかく「進みたい方向」にしか進めない状況を作ってしまうのが、当たり前ではありますが、前に進むための確実な対策と言えるでしょう。
「今日はなんか自宅でもできそうな気がする♪」
という、ふわっとした根拠のない自信に何度騙されたことか。
とはいえ、期待をしすぎると…
とはいえ、「カフェやシェアオフィスに行きさえすれば万事OK」とはならないのが面白い(?)ところです。
その環境から離れてもダメですし、期待しすぎても挫(くじ)かれるのです。
↓このあたりについては以下の記事でも触れました。
そういえば、村上春樹の小説に「期待をするから失望が生じるのだ」というフレーズが出てきます。過剰な期待は応えるのがストレスになるということはありそうです。
買い物をすませてしまうと手近なレストランの駐車場に車を入れ、ビールと海老のサラダとオニオン・リングを注文して一人で黙々と食べた。
海老は冷えすぎていて、オニオン・リングは少しふやけていた。
レストランの中をぐるりと見回してみたが、ウェイトレスをつかまえて苦情を言ったり床に皿を叩きつけている客の姿は見あたらなかったので、私も文句を言わすに全部食べることにした。
期待をするから失望が生じるのだ。
『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド(上)』p.125より
「ウェイトレスをつかまえて苦情を言ったり床に皿を叩きつけている客」とは、「過去の自分」と「未来の自分」がお互いの期待を巡ってせめぎ合う、そのまっただ中にある「今の自分」の姿と言えるでしょう。
到底応えられないような期待は、自社の支払い能力をはるかに超えた手形を発行するようなもので、焦げ付くことが目に見えているはずです。
そういう意味では、かかる時間を正直ベースで見積もり、これをスケジュールに落とすという“現金支払い”が、最もストレスフリーで安定した取引となるでしょう。