29インチ(解像度 2560×1080)の液晶モニターを3年前に導入し、快適な作業環境を手に入れましたが、同じ29インチで曲面型の画面を持つモデルがリリースされていることを知り、仕事においても新たな局面に進出するべく購入。
↓購入したのは以下の29インチ曲面型(29UC88-B)です。
以下、曲面ではなく平面ですが、同じ29インチのモニターです。
画面サイズは 701×396-516×252(mm)。
極めて横長です。
↓ウェブブラウザを最大化すると、左右に広大な余白が現れます。
3年前に購入したモデルとほぼ同じサイズですので、設置について困ることはありませんでした。
↓3年前に導入した際の記事は以下です。
3年前に購入した機種との主な違いは「画面が曲面型である」という一点に尽きます。
それ以外にも3年たっているのでそれなりに細かい点でアップデートはあるのですが、「画面が曲面型である」というインパクトに比べれば微差。
では、その「曲面」の印象やいかに?
思ったほど“曲面感”はないが
注文してからというもの、「曲面か~、曲面な~」と、曲面のことで頭がいっぱいになっていました。
翌日に商品が届くと「おお、ついに曲面が!」とややテンションが上がっていました。
さっそく、これまで使っていたモデルと並べて見比べてみます。
↓下がこれまでの平面型、上がこれからの曲面型。
↓曲面型を正面上方から。
確かに湾曲しているのですが、思っていたような“曲面感”ではありません。
ただ、実際に作業をしてみると、ほんのりとそのやさしいカーブを感じます。
この、主張しすぎない控えめな存在感は柚子(ゆず)を彷彿とさせます。
ふとしたときに一陣の風が吹き抜けるかのようにその“風味”が知覚されるのです。
「マルチディスプレイ」は首に負担がかかるかも
これは曲面型を導入する前も実感していたことですが、29インチという横長の特長は「もうこれ1枚で十分」ということです。
29インチ導入当初は、以下のようにマルチディスプレイ環境で使用していました。
これまでは、サブディスプレイ(外付けディスプレイ)とメインディスプレイ(ノートPCのディスプレイ)という、言ってみれば“ツインベッド”だったのですが、2560ピクセルという幅になると、もはや、サブディスプレイが“ダブルベッド”になり、メインディスプレイは“エキストラベッド”に成り下がってしまいました。
もっぱらサブディスプレイで作業を行ない、メインディスプレイはウィンドウの“仮置き場”に。
そのサブディスプレイは、以下のように左側が参照用、右側が作業用、という具合に真ん中で2つに分けて使用しています。
でも、このような配置は、このイラストを見れば分かるとおり“守備範囲”の幅が実に広いのです。
もっぱら29インチディスプレイを見ながら作業しつつ、ときどきPCのディスプレイに目をやるわけですが、確実に首を動かすことになります。
29インチディスプレイのみであれば、視線を動かすだけで済みます。
そんな折、神田昌典さんの『全脳思考』を読み返していたら、以下のような挿話にぶつかり、「これはまずい!」と感じて、マルチディスプレイをやめることにしました。
ある女性がカイロプラクティック治療院で整体師からこう告げられます。
「あなた、首の骨が曲がっていますね。
それにしても、どうしてこういう曲がり方をしたんだろう? もしかして体を前に向けたまま顔だけ左右に動かしてませんか?」
それを聞いて、彼女はハッとした。
彼女のデスク上には、作業効率を上げるために二台のパソコン・ディスプレイが左右に置かれている。
そのために首を前後上下には動かすことなく、左右にばかり動かしていたというのだ。
整体師によれば、この動きは非常に首に負担がかかるとのこと。
つまり、頻繁な首の動きをともなうマルチディスプレイ環境はリスキーというわけです。
映画やドラマは面目躍如
この29インチの横長という特長は映画やドラマを観るときにいかんなく発揮されます。
作品にもよりますが、対応しているものは画面いっぱいに表示されて没入感が生じます。
曲面であることで、さらにこの没入感が増します。
↓「ザ・レイド GOKUDO」という作品をAmazonビデオで表示中
上記のような、横長の画面をいっぱいに使った風景のカットがときおり挿入される作品なのですが(ほとんどは極めて凄惨な格闘シーンの連続)、その風景の広大さがじかに伝わってくる感じです。
まとめ
というわけで、シングルディスプレイで首の負担少なく仕事を進められると同時に、映画やドラマに没入できる横長モニターです。
なお、29インチ(2560×1080)のほか34インチ(3440×1440)のモデルもあります。
この“横長感”をまだ体感していない方は、機会があればぜひ一度お試しください。
普段ウィンドウの切り替えをいかに頻繁に行っていたかに気づかされるでしょう。