時間は死ぬまでなくなりません。
実際、時間がなくなる時間とは、なんでしょう?
寝ているときにも時間はありますし、納期が1秒後に迫っていたとして、納期を過ぎたとしてもやっぱり時間はあります。
こんなことを言ってもバカげているとは思いますが、時間がないというのは、締め切りに間に合わないということであって、時間そのものはなくならないわけです。
ただ、実際には「時間がない!」と切実に感じる状況においては、いつも締め切りだけが問題というわけではありません。時間切れが発生する代表的な状態には、通常次の3つが関係しています。
- 疲労と心的飽和
- 中断と睡眠
- 締め切り
究極をいえば「時間がない」とは、締め切りが来てしまうということ以外、ありません。だから、締め切りが来ないなら、時間管理なんて、不要なのです。が、たいてい締め切りは非現実的なほどタイトなので、作業に十分な時間はありません。
これだけが問題ではないからこそ、ここで記事に書いているわけです。
どれほど時間がなくても、中断もせず、休憩も入れず、睡眠すらなしにすれば、なるほど仕事は終わるでしょう。しかしそれでは死期を早めます。
締め切りまでのすべての時間、仕事を続けるわけにはいきません。
だから時間管理において考えるべきは、疲労と休憩、心的飽和と中断の関係となるわけです。
この中で「心的飽和」だけが独特の用語ですが、要するに「飽きる」ということです。「疲れ」と「飽き」の違いというのは、「やめて他のことができるなら、疲れではない」ということです。もちろん、作業に疲れてしまうことと、作業に飽きることは、重なることもありますが、同じではありません。
ただしどちらも休憩を要する点で、時間管理においては同じことを要求してきます。つまり「時間が足りなく」なるのです。
疲れたのに休めない。作業に飽き飽きしているのに中断できない。なぜなら時間が足りないからです。
「中断」にどれほどの時間をかけられるかということが、短期的な時間管理では、問題になっているのです。つねにそうです。たくさん中断の時間をかけられるほど、時間には余裕があると言えます。ただ、いつまでも作業に戻りたくない、いつまでも「中断」していたいというときには、何か仕事に問題が発生しています。
「中断」は時間管理において注目されないことが多く、「適度な休憩を取りましょう」くらいですまされることが多いですが、「適度な中断」がどのくらいであるかを事前に決めるのは難しいし、「適度な中断」が全然とれないから困っていることも多いものです。
タスクシュートでオススメしたいのは、自分が実際に取っている中断ログを中心に、中断で「休む時間の長さ」を先に決めることです。ほとんどの場合、ここで反対になってしまいます。学校の授業時間でいえば、まず授業ありき。その「余り」が休み時間なのです。それは当然だとみんな思っているようですが、私の小学校時代の記憶を振り返っても、「休み時間」こそが有意義で輝きのある時間でした。
それは学校がイヤだったからではありません。私は、少なくとも小学校時代は、授業時間で困ったという覚えがないですし、授業がいやだったと思うこともありませんでした。どちらかと言えば、体力自慢ではなかったから、休み時間のほうが同級生にいびられたりして困らされたことが多かった。
にもかかわらず、休み時間の記憶のほうがはるかに魅力的なのです。
たとえその通りにできないにせよ、どこでどのような中断・休憩・睡眠を取るかについて、もっと注意を払うべきです。その時間は、最終的には「1日の作業全体との関わり」において、かなりの分量を占めることになりますし、生産性にも、想像よりずっと重大な影響を与えつづけます。
時間管理において、まず「休憩」「中断」「睡眠」にどのくらいの時間を割き、どのようにいつ、それを活用するかを先に考えてもいいのです。
Follow @nokiba
だから、Mac好きな人が読むと「そうそう!そこ本当に便利ですよね~!!!」と思わず本に語りかけてしまうという…(苦笑)。デザイナーでもプログラマーでもない、「ふつうの」ビジネスMacオタ…いや、ファンにとって待望の一冊になったことは間違いないでしょう。
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とても丁寧な書評をいただきました。
本を書く醍醐味の1つは、宛先もなく手紙を出したら、自分の親よりもその内容をよく理解していただけるというセレンディピティに出会えるところにあります。
ありがとうございます。
引き続きよろしくお願いします。