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大事なことが予定どおりに行かなかったときこそ記録としてのタスク管理が生きる



佐々木正悟 2016-11-20(日)、第16回目となる東京ライフハック研究会で、ゲスト講師として登壇してきました。

およそ2年ぶりの復活だそうで、それにしては40名以上の満席となった盛況ぶりで、少し緊張してしまったくらいです。

私は本来トップバッターとして喋る予定でしたが、主宰の北真也さんが急遽、私の直前に喋るという変更があり、私はその次に喋りました。

内容としては、「いろいろなタスク管理」がテーマで、ゲスト講師として4人、他にライトニング・トークがあるという流れでしたから、私は私のタスク管理を集中的に話せばいいということでしたので、そのようにしました。

私のタスク管理というのは、要するにタスクシュートです。

とは言え、初参加の方も半数前後いらっしゃるという状況でしたから、私がなぜ他のタスク管理を差し置いてタスクシュートに専念しているかをお話ししました。

大事なことが予定どおりに行かなかったときこそ記録としてのタスク管理が生きる

他と比較し、自分が集中的に行っていることを、わざわざなぜそうしているか、他の人に説明するというのは、ややこしいことです。自分にはこの上なく自明なことで、他人にはそうではないからです。

なぜタスクシュートか? 私はあれこれ考えました。

  • クローズリスト
  • 見積もり時間によるタイムシミュレーション
  • リピートタスク管理
  • ワークログとしての側面
  • デイリーリスト
  • 時間帯というコンテクスト

30分で話しきることのできるテーマを1つだけ選ぶ必要があります。

私が結局選んだテーマはこれでした。

「抵抗が強いがやらなければならないことの実行を補助するツールとしてのタスクシュート」

「やるべきか、やらざるべきか、それが問題だ」と悶々としている間に日が暮れる。やるべきに決まっているのですが、それが容易に成し遂げられない。

なぜなのか?

なぜなのか、と考えたところ、一般に多くのタスク管理ツールは、そもそもその「なぜなのか?」にすら答えてくれないのに気づきました。

もしタスク管理すらしてなければ、なぜ大事なことをしてこなかったかについて、記憶から掘り起こすしかなくなりますが、いずれにせよ、ほとんど不可能と思えるくらいの難しさです。

たとえば、「今年書くべき論文が、冬になっても書けていない。なぜなのか?」と自問して、ちゃんとした答えを得るためには、かなり長い記憶想起を必要とします。

  • 春に資料を集めるべき時には花見に行っていた。
  • 夏に草稿をすすめるべき時には花火を見ていた。
  • 秋に・・・

といった具合にです。

これは「シンプルなタスク管理法」としてよく持ち出される「ホワイトボードに、□論文を書く」と書いておけばよろしい、というやり方でも同じです。

首尾よく論文が書ければそれでいいでしょうが、冬になっても書けていない、という場合、いったいどうしてそうなったのか、これからどうすればいいのか、そのホワイトボードには何一つ書かれていないはずです。

人は、仕事をやったときだけ、そのことを喜んで記録に残そうとしますが、仕事をさぼったときは、得てして記録に残すまいとします。

だから、どうして仕事を進めてこなかったのかが後になるとわからないのです。

私がお話ししたことは、タスクシュートとは、本来進めるべきであると強く念じながら、なぜそうしてこなかったのか、代わりに何をやったのかの記録を克明に残すツールだ、という指摘でした。

後になって、それでも仕事を進めたいと思ったとき、そうした記録を読み返すことが最高の薬になるのです。