これはまだ仮説段階なのですが、時間を使うという行為は、エネルギー消費になぞらえることによって、その使い方を変えるための指標が得られるのではないか、と考えています。その時間の使い方は大きく分けて2つ。随意と不随意です。
- 時間の随意的な使い方とは、「こういう風に使おう」という意思決定に沿った使い方です。
- 時間の不随意的な使い方とは、その逆で意思とは無関係に、多くの場合は意思に反した使い方です。
時間を使うときというのは必ずこの2つのいずれかになっており、その選択のコントロールは難しいようです。
これを踏まえて、以下の記事で書いた「時間の使い方の5分類」と絡めながら考えてみます。
» 何か一つのことを一気に片づけるのは不可能ではないがたいへん難しい
この10時間をどのように使っているか、その内訳を調べてみると、以下のようになりました。
- 2.5時間(13.6%) 生産的な活動(収入に直結する仕事、いわゆる第一領域の時間)
- 2.9時間(15.3%) 投資的な活動(読書やランニングなど、いわゆる第二領域の時間)
- 2.4時間(13.1%) 楽しみの活動(映画や写真の整理など、いわゆる第四領域の時間)
- 3.1時間(16.7%) 空費的な活動(何もせずだらだらしている、いわゆる第四領域の時間)
これは、連休中の2014年5月6日(火)の記録で、合計10.9時間のシェアです。
この分類は第一領域~第四領域と完全には重ならないところもあります。
たとえば、3つめの「楽しみの活動」は便宜的に「第四領域」としていますが、これは「楽しみの時間」として「第五領域」としたほうがいいのではないかと考えています。
「楽しみ」のために能動的に時間を使っているときと、無目的かつ受動的にだらだらと時間を過ごしているときとは分けて考えたほうがしっくりくると思えるからです。
5つの分類
改めて、時間の使い方の5分類を整理すると以下のようになります。
- 1.生産的な活動(収入に直結する仕事、いわゆる第一領域の時間)
- 2.投資的な活動(読書やランニングなど、いわゆる第二領域の時間)
- 3.回復的な活動(食事や睡眠、入浴や排泄など、いわゆる第三領域の時間)
- 4.享楽的な活動(映画や写真の整理など、いわゆる第四領域の時間)
- 5.空費的な活動(何もせずだらだらしている、いわゆる第四領域の時間)
どの分類にも当てはまらないものもありますが、ここでは恣意的にいずれかの分類に当てはめることにします。
最適な時間配分を志向する
睡眠を除いた、すなわち活動可能な全時間をこの5つの分類に振り分けることによって、その日一日の時間配分が把握できます。
生身である限りは、回復的な時間はゼロにはできませんし、生産的な活動は経済的な糧を得るうえでは一定量は必要です。しかし、生産的な活動が多すぎれば、その反動で空費的な活動がやむを得ず発生し、多くの場合、投資的な活動や享楽的な活動のための時間が割を食うことになります。
一見すると「三つ巴」ならぬ「五つ巴」の構図に見えますが、よくよく観察してみると、5つの分類のうちカギを握っているのは1つだけです。
それは「生産的な活動」にかける時間。
時間の使い方を「エネルギー」の観点で捉え直してみる
ここで、時間の使い方を「エネルギー」の観点で捉え直してみると、ちょっとした発見があります。
まず、カギを握る「生産的な活動」に注目すると、この活動では時間という燃料を使って何かを生み出そうとします。
ここで生み出される成果の質と量は、投入できる時間の長さだけでは決まりません。
残りの4つの分類がパラメータ(変数)として作用します。
- 2.投資的な活動(読書やランニングなど、いわゆる第二領域の時間)
- 3.回復的な活動(食事や睡眠、入浴や排泄など、いわゆる第三領域の時間)
- 4.享楽的な活動(映画や写真の整理など、いわゆる第四領域の時間)
- 5.空費的な活動(何もせずだらだらしている、いわゆる第四領域の時間)
2.投資的な活動
投資的な活動は、生産的な活動の質と量を引き上げます。
これは、身体を鍛えることで筋肉が増え、持ち上げられるバーベルの重さや回数が増えることに似ています。生産的な活動だけに取り組んでいても、生産的な活動の質と量を引き上げることにはつながりにくい。生産的な活動から離れたところで、「刃を研ぐ」ための活動が必要ということです。
栄養素でいえば「たんぱく質」に似ています(たんぱく質は筋肉の素です)。いわゆるおかずです。
3.回復的な活動
回復的な活動は、すでに書いた通り生身である限りは必ず一定時間を確保する必要があります。が、必要以上に投入すると無駄になります。食べ過ぎや寝過ぎです。従って、過不足のない最適な長さを追求することになります。
栄養素でいえば「炭水化物」に似ています。エネルギー源になりますが、取りすぎれば太って動きが鈍くなります。いわゆる飯です。
4.享楽的な活動
享楽的な活動は、いっさいなくても生産には支障はありませんし、生身を維持するうえで不可欠なものではありません。が、この活動がいっさいない人生は灰色であり、早晩空しさに襲われることになるでしょう。
栄養素でいえば「脂質」に似ています。炭水化物と同様にエネルギー源にはなりますが、あくまでも副次的な位置づけです。いわゆるスイーツです。
5.空費的な活動
空費的な活動は、何も生み出さない活動です。ほかの4つの活動が少なからず「随意的」なのに対して、この空費的な活動は唯一「不随意的」なのです。誰も「よし、これから時間を空費するぞ!」という意思決定は下しません。あるとき、ふと「ここまで過ごした時間は空費活動であった」とふり返って初めて気づくのです。
現時点での僕の整理は、「回復的な活動」の余剰は「享楽的な活動」であり、「享楽的な活動」の余剰は「空費的な活動」というものです。
シャンパンタワーで整理する
ここでシャンパンタワーを思い浮かべてみてください。一番上のグラスが回復的な活動枠であり、その下の段のグラス群は享楽的な活動枠であり、その下のグラスがない部分がどこまでも広がる空費的な空間です。
余裕がないときは一番上のグラス(=回復的な活動)を辛うじて満たしたところで手を打つことになります。
生産的な活動を行うときは、この一番上のグラスの中身を「消費」することになります。ここがカラになっていると、活動ができません。
それゆえに、この一番上にある回復のグラスを満たすことを最優先することになります。
余裕があるときは一番上のグラスを満たしたうえに、次の段の享楽的なグラスをも満たすことができるので、文字通り満たされた気分を味わうことができます。
しかしながら、さらに注ぎ続けると、残りは床にこぼれるばかりなので無駄になってしまいます。
「浸食忘れて没頭する」という表現がありますが、これは一番上のグラスを飛ばして享楽的なグラスに注ぎ続ける行為であり、本来なら一番上の回復のグラスにまわすべきものがすべて床にこぼれ落ちてしまうため、長くはもたないでしょう。
これぞ享楽主義です。
まとめ
まったくもってまとまりませんが、現時点で考えているところをまずは中間報告的に書いてみました。
伝えたかったことは一つだけです。
それは、時間の使い方について、記録とふり返りを通して最適なバランスを調整・追求し続けるしかない、ということです。
「これさえやっていれば、あとはもう何も要らない」などという一点突破的な時間の使い方はあり得ないのです。
そんなわけで、毎日の使った時間を5つの分類に振り分けて、そのバランスを観察しています。
以下はこの7日間のバランスです(TaskChuteのデイリーログ機能で出力)。合計時間が20時間を越える日がありますが、これは睡眠を削っているわけではなく、例えば、移動中に読書したの場合、移動時間と読書の時間は重なって記録しているためです。
- ○ 1.生産的な活動(収入に直結する仕事、いわゆる第一領域の時間)
- ◎ 2.投資的な活動(読書やランニングなど、いわゆる第二領域の時間)
- △ 3.回復的な活動(食事や睡眠、入浴や排泄など、いわゆる第三領域の時間)
- ☆ 4.享楽的な活動(映画や写真の整理など、いわゆる第四領域の時間)
- × 5.空費的な活動(何もせずだらだらしている、いわゆる第四領域の時間)