できるだけ多くの時間を自分にできることにのみ注ぎ込めたら、と常々考えています。その状態が実現に近づけば近づくほど、自分の存在価値が高まるからです。
言い換えれば、何か新しい技術を身につけることで「できること」を増やそうとするアプローチをとらないことです。
なぜなら、その新しい技術を身につけている人がすでにいるからです。席が埋まっているのです。
必然的に、まだ埋まっていない席を志向することになります。言ってみれば、自分のために用意されている席です。
この席に着くためのヒントが「今の自分にできること」だと思うのです。
「できること」に集中するのは難しい
「(まだ自分には)できないこと」に比べれば、「(すでに自分が)できること」は相対的に簡単なはずです。
でも、「できること」だけに集中しようとすると、これはこれでけっこう難しいことに気づきます。
すでに「できる」ことであるがゆえに、相対的に張り合いが薄れるからです。
「できるかどうかわからない」ことに取り組むときには、自然と緊張感が高まり、テンションも上がり、もしかするとそこに充実感が生じるかもしれません。
「やるべきことをやっている感」を強く感じるからかもしれません。
でも、本当にやるべきは「自分が今できること」、もっと言えば「今の自分にしかできないこと」なのではないか、と。
自分にできることは何か?
ドラッカーの言葉に次のようなものがあります。
有能な人びとは強みのうえに仕事を築き上げる。こうした人びとの設問は、“自分にできないことは何か”、または“彼のできないことはどんなことか”ということではなく、“自分にできることは何か、そして彼のできる仕事は何か”という問題である。
僕はこの部分を「できるだけ多くの時間を自分にできることに注ぎ込む」と解釈しました。
言い換えれば、自分にできないことをがんばって身につけるよりも、まず自分にできることで前に進もうとする。
もっと言えば、何か新しい技術や能力を身につける前に、今の自分にできることで誰かの役に立てることはないかを探す、ということです。
一方、自分にできないことはどうするか?
それができる人に任せればいいでしょう。
つまり、自分にできないことは、それが「自分にできること」だと自認している人にやってもらえばいいわけです。
例えば、Aさんは絵が描けるが文章は苦手、Bさんは文章が得意だが絵はからっきしダメという2人がいた場合は、以下のようになります。
- Aさんは自分にできる「絵を描く」ことに専念する代わりに、自分にはできない「文章を書く」ことを、それを得意とするBさんに任せる
- Bさんは自分にできる「文章を書く」ことに没頭する代わりに、自分にはできない「絵を描く」ことを、絵心のあるAさんに任せる
きわめて単純化した事例なので、そんなにうまくいくものか、と思われるかもしれません。
でも、自分にできないことをやろうとするよりも、あるいは(ダメな)自分を変えようとするよりも、まず今の自分、これまでの自分をふり返り、今の自分でもできることから始めてみたほうが、より早く道が開けるのではないか。
そして、そのようにすることで初めて「自分のために用意されている席」にたどり着くことができる、あるいは「自分の席を自分のために自分で用意する」ことができるのではないか、と僕は考えています。
参考文献
前述のドラッカーの引用は、以下の本で知りました。
有能な人びとは強みのうえに仕事を築き上げる。こうした人びとの設問は、“自分にできないことは何か”、または“彼のできないことはどんなことか”ということではなく、“自分にできることは何か、そして彼のできる仕事は何か”という問題である。
» ドラッカーの教えどおり、経営してきました[Kindle版]