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人はなぜ仕事中に居眠りをしてしまうのか?



大橋悦夫新入社員研修中はとにかく眠くて仕方がありませんでした。

前回の続き。


研修初日の4月1日から社長の講義中に意識が遠のき、突然の関西弁の怒鳴り声でハッと目が覚める。

「何しにきとるんや!」

研修2日目。

朝7時過ぎに寮を出て、8:04に本社に到着。研修中はエレベータは使用禁止とのことで、階段を使う、12階まで。

息を切らせながら研修室に入ると、数名の同期たちがすでに室内の清掃を始めている。

初日の講義中から居眠りをし、数十名いる同期の中で最初に社長から叱責を受けるという最悪のスタート。

それまで毎日つけていたパソコン日記も、その日はさすがに何も書けず(1996年4月の日記は4月2日から始まっていた)、今日こそは名誉挽回せねばと気合いを入れて臨んだ研修2日目。

しっかりと睡眠をとっているはずなのに、講義中にふと気づくと意識が遠のいていく。

「昨日も寝てたな」「目が裏返ってるぞ」という言葉はかろうじて覚えているものの、それ以外に浴びたはずの叱責の言葉の数々は日記にも記載されておらず、記憶にも残っていない。

初日の「何しにきとるんや!」という言葉が強烈すぎて、以降は記憶が飛んでしまっているのかもしれない。

そんなスタートだったのにもかかわらず、その1年半後に突然始まった社長直轄の新規事業プロジェクトに、社歴2年目の自分が抜擢されることになる。

このあたりの経緯はこの記事で触れているが、「たまたまタイミングよくその場に居合わせる」ことがいかに重要かを気づかせるための“イベント”だったのだと今は捉えている。

それはさておき、人は眠ってはいけないときに限ってなぜ眠くなってしまうのか。

家で仕事をしているときには眠くならない

研修を終え、プロジェクトに配属されてからもたびたび居眠りすることはあり、いったいどうすれば居眠りせずにすむのかを悩む日々。

ところが、その後にこの悩みは簡単に解決した。

数年後に会社を辞め、自宅で仕事をするようになってからは居眠りをすることがなくなった。

会社員時代は「当事者意識が薄いからだ」などと散々言われていたが、会社をやめれば必然的に当事者、すなわち自分がやらなければ後がない状況に追い込まれる。

居眠りをやめたければ会社を辞めれば良かったのだった。

もちろん、居眠りをやめるために会社を辞めたわけではないが、居眠りの不安から解放されたことは地味に大きかった。

居眠りに限らず、故意にやっているわけではないことで叱責されるのはやはり厳しい。

故意を手放す

ここでふと考えるのは、居眠りとは対照的に、故意にやっているわけではないことで賞賛されたらどうか、ということ。

故意にやったことを賞賛されるのは当たり前すぎておもしろくない。当たり前が悪いわけではないが、インパクトは薄いので努力のコスパは低くなる。

大変な努力を積み重ねて「ここまでやればさすがに賞賛の嵐だろう」と意気込むと、確かに期待通りのリターンが得られることもあるかもしれないが、裏目に出る場合も少なからずある。

そうであれば、もはや「故意」は手放したほうがいいのではないか、と考えたくなる。

目指すところは、否、結果として引き起こしたい現実は、

  • 自然体でやったことで(思わぬ)賞賛が得られる毎日

ということになる。

今回の記事でこれを言語化してみるまで、自分がこのような考え方を持っていたことを忘れていた。

居眠りをするということは自分に何らかの故意を強いている証左なのだと今は思う。

#1460日間の記録

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