少し前のある日のこと。家を出て駅に向かって歩き始めてから、ふと、
「あ、書類を忘れた!」
と思い出して取りに戻る、ということがありました。
その日は、健康診断を受けることになっており、受診するためにはその書類が必要だったのです。
前日のうちから「忘れずに持っていこう」と思って、机の上に出しておいたのですが、出がけに財布やスマホなどをかばんに入れつつも、目の前に出しておいた書類はスルーして、そのまま出発してしまいました。
それでも、ほどなくして書類を忘れたことに気づけたため、すぐに取りに戻って大事には至らなかったのですが、その後の道すがら頭の中を支配していたのは、
「どうして忘れたことを思い出せたのだろう?」
という疑問です。
今後、同じようなシチュエーションにおいて、偶然に頼らず、きちんともれなく思い出せるようにするにはどうすればいいか?
これをあきらかにしたかったのです。
すぐに思いついたのは、シミュレーションです。
少し先のシーンを脳内で“先行上映”する
思い起こしてみると、出発してからすぐに今日の主目的である健康診断の脳内シミュレーションを始めていました。
「さぁ、シミュレーションを始めるぞ!」などと特に意識をせずとも、自然とそれが始まっているのです。
歩いていると、急に目の前に自分にしか見えないウィンドウがオープンし、そのウィンドウ内で病院に着いてからの自分の行動が“先行上映”されているイメージです。
ウィンドウの中の自分は、病院の受付に着くなり、すぐにカバンの中から書類を取りだして、目の前の相手に訪問目的を告げています。
この“映像”を目にした瞬間に、
「あ、この書類、持ってきてないや」
と気づいたわけです。
自分にとって有利な展開に持っていくことができる
常に少し先の未来の出来事を可能な限り映像化して先に見ておくことで、“予習”ができます。
あまりにも遠い先の未来になると、不確定要素が増えるため実現性が低下します。そのため、先行上映の対象は「ほどよい未来」が良いでしょう。
どれくらいの未来が「ほどよい」のかは人によって、あるいはシチュエーションによって変わると思いますが、このチューニングがうまくできるようになれば、きわめて確度の高い「転ばぬ先の杖」が毎回確実に手に入ります。
つまり、忘れ物がなくなるのはもちろん、事前連絡や手配がもれなくできるようになるため、自分にとって有利な展開に持っていくことができるようになります。
一日のすべてを詳細にシミュレーションするのは難しいかもしれませんが、いつもと違う部分についてのみ集中的にシミュレーションを行えれば、多くのリスクを回避できるのではないかと思います。
そのためには毎朝その日の予定を確認する際に「今日はどのあたりがいつもと違うのか」に注目するようにします。あとは自然とその部分に注意が向くので、シミュレーションの対象にもなりやすくなるでしょう。
こうして書いてみると、至極当たり前のことのように思えるのですが、ポイントは一日の流れの中において、自動的に進行する部分と、手回しが必要な部分とを明確に分けておくことだと思います。
タスクシュート的に言えば、「定番のリピートタスク」と「今日限りのワンタイムタスク」(=誰かと会う約束やプリンタの修理など)を分けるということです。
参考文献:
脳内で“先行上映”することの実態は、要するに“脚本”に先に目を通してしまう、ということです。「先を読む」という言葉がありますが、まさに起こるであろうシナリオを事前に読んでしまうわけです。
例えば、買い物リストはもっともシンプルな脚本といえます。スーパーに行く前から何を買うのかをリストアップしておくことで、おのずと売り場の最適な巡回ルートを考えることになります。
「最適な巡回ルートを考えなくっちゃ」などと意気込まなくても、買い物リストさえ用意できれば、あとは流れに身を任せていれば済みます。
この「リスト」のパワーを最大限に引き出すためのアイデアが詰まっているのが『リストマニアになろう!』です。
徹頭徹尾「リスト」づくしの一冊ですが、すでにチェックリストやレシピを日々の仕事や生活の中で活用している人にとっては新鮮味は薄いかも知れません。
…が、「記憶に頼って仕事をしている同僚や後輩がいて困っている」という人は、とりあえずこの一冊を手渡すといいと思います。
個人的には、「リストをつくると、かえって自由になる」という一文にいたく共感しました。
» リストマニアになろう! 理想の自分を手に入れる「書きだす」習慣
関連:
タスクシュートの実態はリストです。この部分を掘りさげた記事が以下。最初にベストなリストありきではなく、まずやってみてぐちゃぐちゃでもいいので記録を残すところからがスタートなのです。
この、かなりいいかげんで、ぐちゃぐちゃのメモこそ、私のブログを書いていく過程です。必ずしもスムーズに進んでいないものが、洗練されていないのは当たり前です。洗練されたレシピがあったところで、その通りにできないなら使い物になりません。
これを使い回していくうちに、だんだんマシなものになっていくのです。洗練とは、使い回した先にできあがるものであって、ふつうその逆ではあり得ません。