ライフハック系の本を出してからもずっと、私は、モチベーションというテーマで本を書いたり連載記事を書いたりしてきています。
理由は簡単で、私自身が「やる気」で苦しんできたからです。
しかしそもそもこの言い方自体に引っかかりを覚えるのです。「やる気」で苦しむってどういうことか?
やる気がないから辛いのか?
が、「やる気がある」なんて言う人は、それほど多くはいないのです。少なくとも「自分は意志の力が絶大にあって、だから成功を収めた」というような自伝を書いていたりする人は、実に少ないものです。
何かと「自慢めいている」ということが非難されてきた勝間和代さんですら、本の中で「私は自分の意志の力を少しも信じていない」などと書いています。あれほど行動力がある人ですらそうなのですから、実際のやる気の有無はともかくとして、「本来こうあるべきだという「理想の意志力」をもっていると実感できている人」というのは、ほとんど誰もいないのでしょう。
だったら、自分が希な例外だと思うべきではないのです。「本来こうあるべきだという理想の意志力」がないのは、ぜんぜん不思議ではなく、ごくふつうのことなのです。
私のやる気は、みんなと同じ。だから「やる気」で苦しむ理由なんて、もともとないのです。
しかし少なくとも私の学生時代や、派遣会社員時代は、ひどいものでした。いまと比べてみても、その行動力の「なさ」は極端で度を超しており、学校や会社に「ただ行けていた」だけでもラッキーとしか言いようのないレベルだったのです。
4年で卒業できたのがとても不思議
つまり、「やる気」のレベルについて言えば、「意志の力なんて信じられない」のはみんな同じだと思うのですが、それを「原動力」とする(はずの)行動力について言うと、個人差があります。
私自身のことだけに限っても、学生時代といまとでは、行動力というか生活力が驚くほど、とても同じ人間とは思えないほど違う。でも、「やる気」は、少なくとも主観的に反省してみる限り、昔も今もあまり変わっていない。
学生時代から自分は「ワクワク感」とか、「高いモチベーション」などとは、あまり縁のない人間でした。まさにその通り、真昼にやっとゲンナリしながら起きてきて、起きるなりお酒ばかり飲んで、1人で悶々として、早い話「鬱」と診断されかねない学生で、4年で卒業できたのがとても不思議です。
いまも自分は「ワクワク感」とか、「高いモチベーション」などとは、あまり縁のない人間なのですが、暗くて寒い朝4時半に毎朝起きることができ、8時には娘を学校へ送り出し、妻の朝食まで用意して、9時には仕事を開始しています。お酒はまったく飲みません。
こう書いて比べてみると、我ながら極端で変な感じですが、こういう「結果としての行動力の差」は本当にどこから来るのだろう? いろんな意見があると思いますが、究極のところ、まだ探求中です。完全には、わかりません。不思議だなと思うところが残っています。
病気はなぜ、あるのか?
ただ、いくらか前進することができた途上には、いくつか大事な「発見」がありました。中でも発想の転換に寄与してくれたのが、たとえば「病気」について、奇妙な知見を得られたことでした。
生体は、必ずしも病気を治さない。治せるからと言って、治そうとするとは限らない。「肉体を持っている私」からすればはた迷惑で「さっさと治せよ!」と言いたくなる(誰に?)わけですが、「治癒力」はコストが高い。病気を治すのにはリスクもある。だから治さずにすむような病気には「いつまでも罹っている」ケースが考えられる。
私は、自分の行動力のなさというものも、これとまったく同じように感じました。「さっさと行動しろよ!」と言いたくなる(誰に?)わけですが、行動力もまたコストが高い。行動するのにはリスクもある。だから行動しなくてすむのであれば、「いつまでもぐずぐずしている」ケースがいくらだって考えられる。
以上をまとめて書いたのが「やる気」をテーマとしたいくつかの本でした。
「やる気は有限」というのはつまり、「野放図には使えない」と考えている(誰が?)部分(おそらく脳のどこか)があって、原材料として有限かどうか、数値として有限かどうかはともかくも、「やる気」というのは「限りがありますから」と言って出し惜しみされているようなものではあるのです。
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