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やる気を出すコストが高ければやる気は出ない



痛み あなたは足首を捻挫した。

問い:これは、いますぐにあなたが本当に欲している防御だろうか、あるいは、この場合には、それは実際には、利益よりむしろ害をもたらすのだろうか。

あなたがガゼルを追っていて、痛みのために足を止めざるを得なかった──したがって、それは、たとえそのためにあなたがガゼルを取り逃がそうとも、足首のさらなる損傷から救おうとしていたのだと、言ってもいいだろう。

しかし、あなた自身がライオンに追いかけられていると仮定してみよう──すると、もしあなたが足を止めれば、それはおそらくあなたの最後となるだろう。

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佐々木正悟 私がやる気に関して何か衝撃的な問いを突きつけられたように感じたのは、この一節からでした。

上記引用に引き続き、ニコラス・ハンフリーは、吐き気、泣き叫び、免疫反応について、そのコストとメリットを脳が計算するはずだという論を展開しています。

問題は、次に何が起こるかによって、痛むべきであるか痛むべきでないかが、分かれるのです。神経システムは、足を止めるべきであれば、痛みを引き起こし、足を止めるべきでないなら、痛みを発生させない。

痛むべきだとか痛むべきでないとかいった表現が不自然なのは、「私」にはそれを自由にする能力がないからです。しかし脳、神経システム、無意識には、それを操る能力が、おそらくある。

やる気は有限

ハンフリーは論をさらに一歩進め、次に家族の温かい看病が期待できるなら「病気を顕在化させるべき」であるが、家族が居なかったり、居てもそっぽを向いたりむしろ厄介者扱いするようなら「病気を伏せておく」ようなことさえできる、とほのめかしています。

やる気(意欲、気力、自制心)についてもほぼ同じことが当てはまるはずだ!と私はこれを読んだときに直感したわけです。

ポイントは、次に何が起こりそうかによって、決定が左右されることです。

いま、気力の大半を使ってしまったとしても、後は風呂に入って寝るだけ、であれば問題なくやる気が出せるでしょう。

しかし、ここでやる気を使ってしまうと、次にライオンが襲ってくるかもしれないなら、まず絶対やる気など使えるはずがありません。襲ってくるのが寒さであれ、満員電車であれ、上司のハラスメントであれ、同じことです。

ここに「理解のある家族」などの存在が、有限のやる気を用いるための、大事な条件である理由があるわけです。やる気を出して一仕事をした後に、団らんが待っているなら、それ以上のやる気は不要ですが、罵声が待っているようであれば、それとの「一戦」のためにやる気をとっておかなくてはなりません。

やる気をとっておかなければならないなら、仕事をするのにやる気を使うわけにはいかないのです。やる気は無限ではないからです。

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