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タスクシュートを使うとなぜ仕事がはかどるのだろう?

By: Kurt:SCC BY 2.0


佐々木正悟 最近、たすくまもTaskChuteも抜きで1日すごしてみるということをやってみました。

自分は以前から、タスクシュートを使うと仕事が進む! だがその理由を完全に説明できるようにはなっていない、と感じていました。

タスクシュートではなぜ仕事が進むのか。それを知るには、タスクシュート抜きでは何ができなくなるのかを知ればいい、と思ったわけです。

今回はルールとして、たすくまとTaskChuteは一切ふれられない代わりに、他の何を使ってもいいことにしました。

すると、代用としてもっとも役に立ったのはEvernoteであり、次にGoogleカレンダーでした。

これは何を意味しているのか。

行動に必要なのは記憶と予定とその他に?

私たちは、予定は忘れてはいけないもの、実行しなければならないものととらえ、その他のことは記憶から思い出して行動している、ということです。

それは当たり前のようですが、もう少し詳しくいえば、予定は書き出されているが、行動はどこにも書き出されてはいないのです。

しかし、時間を使ってアクションを要する者として、予定も行動も違いはありません。パンを食べるのも、人と会うのも、行動は行動です。

ただ、人と会うのはカレンダーにあるが、パンを食べる方は、どこにも書いてない

だから、自分が「次になにをすれば良いか」が明瞭にわかるのは「人と会う」だけであって「パンを食べる」ではないわけです。

でも、1日の半分程度は「パンを食べる」で時間を使っているので、これをお腹と記憶任せにしておくと、できるかどうかわからなくなってきます。「パンを食べる」ならば、できるかどうかわからなくてもいつかは必ずやりますが、できるかどうかわからなくて、必ずやるわけではないことは、どんどん後ろに回すしかなくなるのです。

すなわち、「ブログを書く」だの、もっとシリアスな仕事として「原稿を書く」だのは、よほど意識しなければ、後回しになります。というのも原稿書きは会議と違って予定ではなく、眠くなったりお腹が空いたりするように「身体が促してくれない」からです。

ここからタスクシュートのよく言われる「病的な」側面がむしろ必要になります。

すべてを書き出すと「次にやること」が自動的に明らかになる

あることをするから書き出すが、別のことは必ずするけど書き出さない、となると、その区別をするのは実に難しくなります。

「原稿書き」というタスクは書くけど、「食事」は書かない。でも「食事の準備」は書くかもしれないし、「ブログ」も書いたほうがいい。でも「家族との会話」という「タスク」は書かない。

基準にぶれがないようにそんなことをするのは、容易ではありません。やってみるとわかりますが、そうする意味はほとんどなくなります。

ある項目だけ書かれている家計簿のようなもので、手間が目に見えて減るわけでもなく、「大事なことだけは書き出されている」とも言えない、非常に中途半端な、信頼できない情報とたえず向き合う羽目になります。

すべてを書き出すのは、やることややりたいことを知るためではなくて「次にやること」を自動的に明らかにするためなのです。同時に「このままなんとなくすごしていても、実行できないこと」が火を見るより明らかになります。

この2つは自問を促します。それで良いのか? 本当に大丈夫か? という自問です。

もちろん、この自問はタスクシュートがなくても、いつも必要ですが、この自問をしながら、同時に、お腹が空いたから食べる、ということをしていると、時間が確かになくなっていき、仕事は確かに進みません。