現在書店に並んでいる日経ビジネスアソシエの4月4日号でサイバーエージェントの藤田晋社長の連載記事「謝るならさっさと潔く」に以下のようなことが書かれていました。
相手の気持ちを静めるために「謝る」ことと「自分の正しさを認めさせる」ことを一度にやろうとすると必ず失敗します。目的がぶれるからです。謝罪の時は今この瞬間に一番大切な目的以外のことを考えてはいけません。
実は、つい最近、この「謝る」を迫られたエピソードがあります。
お客様より苦情のメールが届いたのがその始まりでした。
そこから読み取れる内容は、確かにこちらの過失が原因でしたが、こちらとしても言い分があり、その苦情の内容を受け容れてしまうと、過失を全面的に認めることになるため、なんとか抗いたい衝動にかられました。
とはいえ、怒っている相手に正論で向かっていっても望ましい結果が得られないものだという経験上の法則に従って、まずはお詫びと今後の対応についての冷静なメールを返しました。
その結果、翌日そのお客様から「つい感情的になってしまって申し訳なかった」という内容の返信がありました。
藤田社長の記事には次のようなくだりがあります。
賠償責任など実際にお金が絡んでくる場合はもっと防衛本能が働くのでさらに注意が必要です。賠償額に関する交渉と謝罪は全く別問題です。自分自身がこの2つを区別して話さないから、つけ込まれるのであって、謝ったからつけ込まれるのではありません。
タイムリーにも、この記事を読んだのは、お客様からの返信があった直後だったため、非常に腑に落ちるところがありました。
苦情メールに直面したときの暗澹たる気分は非常に嫌なものですが、相手が失望や怒りに至るまでに時間をかけて蓄積されたストレスを考えれば、変な言い方ですが、十分に割の合うものなのだと思います。むしろ、じわじわ痛められるよりも、瞬間風速的に嫌な気分になる方がしのぎようがあるからです。
そして、苦情を書いてくださるお客様が、感情を露わにしているという事実は、それだけ本気であることの証とも言えますので、その本気を受けてこちらとしても気合いが入ります。
もちろん、そうなる前から十分な気合いを持って仕事に臨んでいるべきなのですが、最初から気合い100%でぶつかっていくと、引いてしまうお客様もいらっしゃるので、このあたりのバランスが難しくもあり、また仕事の醍醐味でもあります。
気合い100%でぶつかっていくというのは、例えば、「あれもやりましょう! これもいいですよ!」というアグレッシブにぐいぐい押していく姿勢のことで、最初からそのような態度で臨むと、お客様としては「そんなに予算はないのに…」という不安が先に立ってしまいがちです。
最初は、お客様の求めるところは十分にできます、という適温で接して、徐々に「じゃぁ、こんなこともできる? へー、じゃ、これは?」と徐々にヒートアップしてきたところで、こちらもそれに合わせて「できますよー!」と合いの手を返していきます。そうこうするうちに最終的に100%に達するわけです(場合によっては100を超えることも)。
今回、苦情が来た原因は、お客様の加熱ペースにこちらが追随できなかったことだと今は思っています。もちろん、キャパシティというものがあるため、いつでもフォローできるわけではありませんが、できないならできないということを早い段階で伝える必要があります。今回はキャパシティには余裕があったのですが、加熱スピードが想定外だったため、タイミングを逸した、ということだと振り返っています。
苦情も度を超えればトラウマになって「後遺症」に苦しめられてしまいますが、適度な苦情は、前向きにとらえることでそこから多くのことを学ぶことができるなぁ、と改めて思った次第です。