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自分が書いた文章のリポジトリ化構想(妄想)

ソフトウェア開発の分野で、リポジトリという言葉があります。この言葉を直訳ではなく、その実態をざっくりと日本語で表現するなら、適材適所、ということになるのかなぁ、と、この言葉を見るたびに思います。

あるべきモノがあるべき場所に格納されていて、適時に取り出すことができるという理想的な状態を体現しているのがリポジトリという仕組みだと考えるわけです。

仕事でも生活でも、こういう状態というのは志向されるべき状態であるのですが、その状態を作りだし、そして維持するためのコストがあまりにも高く、言い換えれば間接費が嵩んでさっぱり割が合わないということであれば、継続は困難でしょう。

そこで、人がそういうことをしなくても済むように、コンピュータが代わりにやってくれると非常に助かります。例えば、Googleのデスクトップ検索は、Webの閲覧履歴やメールやファイルといったコンピュータ内に散在しているデータを1つの検索に統合してくれるソフトウェアですし、同じくGoogleのPicasaというソフトウェアも画像で同じことを実現してくれます。

ここまで来て思うのは、さらにもう一歩という野望です。それは、自分が過去に書いたあらゆる文章を同じように検索できるようにならないか、というもの。コンピュータから見れば、自分が書いたものだろうと他人が書いたものだろうと同じテキストには違いがないため、一緒くたにされてしまいますが、もし自分が書いた文章だけは特定のラベルを付けて分けてくれるような機能があるとしたら、上記の野望は現実になります。

なぜそう考えるのかというと、リポジトリが特定のソフトウェアの仕様やプログラムコードを格納し、自由に取り出せる機能を提供しているのと同様に、自分が書いた文章だけを格納しておいて自由に取り出すことができるような仕組みがあれば、新たに文章を書くときに「そういえば、これは以前にも書いたことがあった!」と思っても「でも、いつどこで書いたかが思い出せない」ということで諦めざるを得ない事態を未然に防ぐことができそうだからです。

単純に自分が書いた文章をきちんと一定の場所に保存するように心がけておけば済みそうな話ですが、例えば、誰かのブログに書き残したコメントやケータイから送ったメールなど、ローカルのPCに残らないデータや「自分が書いた」という証憑が不明確なデータは網から逃げていきます。

まぁ、それはそれとして諦めるしかないのかも知れませんが、PicasaがPCの中に散らばっている画像を集めてきて時系列に並べてくれるのと同様に、自分が書いた文章が年月日順にずらっと閲覧できたら、そこから新たな発見が得られるのではないか、と思うのです。

・・・なんだかまとまりがありませんが、もしそういうソフトウェアなりHackなりが開発されると、恩恵に浴する人は少なからずいるのではないか、と思っている次第です。

(追記)
そもそもこのエントリを書こうと思い立ったのは、3/17(金)にオープンした「あすなろBLOG」で執筆陣の1人に加えていただいており、そこで何を書こうかと思い悩んでいたときに、今までに自分が書いてきたあらゆる文章をざっと確認できるといいかも知れない、という思いがよぎったからでした。ちなみに「SOHO考流記」というタイトルで書いています。